[st-w54] 四 深林の逍遥、其他 – 天馬 序

老は若は越しかたに
文に照らせどまれらなる
奇しきためしは箱根山
弥生の末のゆふまぐれ
南の天の戸をいでて
よな/\北の宿に行く
血の深紅の星の影
かたくななりし男さへ
星の光を眼に見ては
身にふりかゝる凶禍の
天の兆とうたがへり
総鳴に鳴く鴬の
にほひいでたる声をあげ
さへづり狂ふ音をきけば
げにめづらしき春の歌
春を得知らぬ処女さへ
かのうぐひすのひとこえに
枕の紙のしめりきて
人なつかしきおもひあり
まだ時ならぬ白百合の
籬の陰にさける見て
九十九の翁うつし世の
こゝろの慾の夢を恋ひ
音をだにきかぬ雛鶴の
軒の榎樹に来て鳴けば
寝覚の老嫗後の世の
花の台に泣きまどふ
空にかゝれる星のいろ
春さきかへる夏花や
是わざはひにあらずして
よしや兆といへるあり
なにを酔ひ鳴く春鳥よ
なにを告げくる鶴の声
それ鳥の音に卜ひて
よろこびありと祝ふあり
高き聖のこの村に
声をあげさせたまふらん
世を傾けむ麗人の
茂れる賎の春草に
いでたまふかとのゝしれど
誰かしるらん新星の
まことの北をさししめし
さみしき芦の湖の
沈める水に映つるとき
名もなき賎の片びさし
春の夜風の音を絶え
村の南のかたほとり
その夜生れし牝の馬は
流るゝ水の藍染の
青毛やさしき姿なり
北に生れし雄の馬の
栗毛にまじる紫は
色あけぼのの春霞
光をまとふ風情あり
星のひかりもをさまりて
噂に残る鶴の音や
啼く鴬に花ちれば
嗚呼この村に生れてし
馬のありとや問ふ人もなし