[hs-a21] さびしい青猫 – 題のない歌

南洋の日にやけた裸か女のやうに
夏草の茂つている波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた
ふはふはとした雲が白くたちのぼつて
船員のすふ煙草のけむりがさびしがつてる。
わたしは鶉のやうに羽ばたきながら
さうして丈の高い野茨の上を飛びまはつた
ああ 雲よ 船よ どこに彼女は航海の碇をすてたか
ふしぎな情熱になやみながら
わたしは沈黙の墓地をたづねあるいた
それはこの草叢の風に吹かれている
しづかに 錆びついた 恋愛鳥の木乃伊であつた。

[hs-a53] 艶めける霊魂 – 夢

あかるい屏風のかげにすわつて
あなたのしづかな寝息をきく。
香炉のかなしいけむりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緒
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。

薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。

ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ いづこへ 行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に饐えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神秘なにほひをたたふ。
(とりとめもない夢の気分とその抒情)

[hs-a32] さびしい青猫 – 輪廻と転生

地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
輪の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰欝な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小虫が焼地の穢土にむらがつている。
なんといふいたましい風物だらう
どこにもくびのながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いているのだ
考へることもない かうして暮れ方がちかづくのだらう
恋や孤独やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽霊のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鶏が見ているのか
冬の日のごろごろとる瘠地の丘で もろこしの葉が吹かれている。

[hs-a11] 幻の寝台 – 蝿の唱歌

春はどこまできたか
春はそこまできて桜の匂ひをかぐはせた
子供たちのさけびは野に山に
はるやま見れば白い浮雲がながれている。
さうして私の心はなみだをおぼえる
いつもおとなしくひとりで遊んでいる私のこころだ
この心はさびしい
この心はわかき少年の昔より 私のいのちに日影をおとした
しだいにおほきくなる孤独の日かげ
おそろしい憂欝の日かげはひろがる。
いま室内にひとりで坐つて
暮れゆくたましひの日かげをみつめる
そのためいきはさびしくして
とどまる蝿のやうに力がない
しづかに暮れてゆく春の夕日の中を
私のいのちは力なくさまよひあるき
私のいのちは窓の硝子にとどまりて
たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた。

[hs-a43] 閑雅な食慾 – 厭やらしい景物

雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廃した田舎をみる
そこに感情をくさらして
かれらは馬のやうにくらしていた。

私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく
精神さへも梅雨じみて居る。

雨のながくふる間
私は退屈な田舎に居て
退屈な自然に漂泊している
薄ちやけた幽霊のやうな影をみた。

私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨気の中に
ずつくり濡れたる 孤独の 非常に厭やらしいものを見たのです。

[hs-a22] さびしい青猫 – 艶めかしい墓場

風は柳を吹いています
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくじは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女はここに来たの
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚のくさつた臭ひがする
その腸は日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。

ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 真理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命や肉体はくさつてゆき
「虚無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。

[hs-a54] 艶めける霊魂 – 春宵

嫋めかしくも媚ある風情を
しつとりとした襦袢につつむ
くびれたごむの 跳ねかへす若い肉体を
こんなに近く抱いてるうれしさ
あなたの胸は鼓動にたかまり
その手足は肌にふれ
ほのかにつめたく やさしい感触の匂ひをつたふ。

ああこの溶けてゆく春夜の灯かげに
厚くしつとりと化粧されたる
ひとつの白い額をみる
ちひさな可愛いくちびるをみる
まぼろしの夢に浮んだ顔をながめる。

春夜のただよふ靄の中で
わたしはあなたの思ひをかぐ
あなたの思ひは愛にめざめて
ぱつちりとひらいた黒い瞳は
夢におどろき
みしらぬ歓楽をあやしむやうだ。
しづかな情緒のながれを通つて
ふたりの心にしみゆくもの
ああこのやすらかな やすらかな
すべてを愛に 希望にまかせた心はどうだ。

人生の春のまたたく灯かげに
嫋めかしくも媚ある肉体を
こんなに近く抱いてるうれしさ
処女のやはらかな肌のにほひは
花園にそよげるばらのやうで
情愁のなやましい性のきざしは
桜のはなの咲いたやうだ。

[hs-a01] 幻の寝台 – 薄暮の部屋

つかれた心臓は夜をよく眠る
私はよく眠る
ふらんねるをきたさびしい心臓の所有者だ
なにものか そこをしづかに動いている夢の中なるちのみ児
寒さにかじかまる蝿のなきごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

私はかなしむ この白つぽけた室内の光線を
私はさびしむ この力のない生命の韻動を。

恋びとよ
お前はそこに坐つている 私の寝台のまくらべに
恋びとよ お前はそこに坐つている。
お前のほつそりした頚すじ
お前のながくのばした髪の毛
ねえ やさしい恋びとよ
私のみじめな運命をさすつておくれ
私はかなしむ
私は眺める
そこに苦しげなるひとつの感情
病みてひろがる風景の憂欝を
ああ さめざめたる部屋の隅から つかれて床をさまよふ蝿の幽霊
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

恋びとよ
私の部屋のまくらべに坐るをとめよ
お前はそこになにを見るのか
わたしについてなにを見るのか
この私のやつれたからだ 思想の過去に残した影を見ているのか
恋びとよ
すえた菊のにほひを嗅ぐやうに
私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を
よし二人からだをひとつにし
このあたたかみあるものの上にしも お前の白い手をあてて 手をあてて。

恋びとよ
この閑寂な室内の光線はうす紅く
そこにもまた力のない蝿のうたごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
恋びとよ
わたしのいじらしい心臓は お前の手や胸にかじかまる子供のやうだ
恋びとよ
恋びとよ。

[hs-a33] さびしい青猫 – さびしい来歴

むくむくと肥えふとつて
白くくびれているふしぎな球形の幻像よ
それは耳もない 顔もない つるつるとして空にのぼる野蔦のやうだ
夏雲よ なんたるとりとめのない寂しさだらう
どこにこれといふ信仰もなく たよりに思ふ恋人もありはしない。
わたしは駱駝のやうによろめきながら
椰子の実の日にやけた核を噛みくだいた。
ああ こんな乞食みたいな生活から
もうなにもかもなくしてしまつた
たうとう風の死んでる野道へきて
もろこしの葉うらにからびてしまつた。
なんといふさびしい自分の来歴だらう。

[hs-a12] 幻の寝台 – 恐ろしく憂欝なる

こんもりとした森の木立のなかで
いちめんに白い蝶類が飛んでいる
むらがる むらがりて飛びめぐる
てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
みどりの葉のあつぼつたい隙間から
ぴか ぴか ぴか ぴかと光る そのちひさな鋭どい翼
いつぱいに群がつてとびめぐる てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
ああ これはなんといふ憂欝な幻だ
このおもたい手足 おもたい心臓
かぎりなくなやましい物質と物質との重なり
ああ これはなんといふ美しい病気だらう
つかれはてたる神経のなまめかしいたそがれどきに
私はみる ここに女たちの投げ出したおもたい手足を
つかれはてた股や乳房のなまめかしい重たさを
その鮮血のやうなくちびるはここにかしこに
私の青ざめた屍体のくちびるに
額に 髪に 髪の毛に 股に 胯に 腋の下に 足くびに 足のうらに
みぎの腕にも ひだりの腕にも 腹のうへにも押しあひて息ぐるしく重なりあふ
むらがりむらがる 物質と物質との淫猥なるかたまり
ここにかしこに追ひみだれたる蝶のまつくろの集団
ああこの恐ろしい地上の陰影
このなまめかしいまぼろしの森の中に
しだいにひろがつてゆく憂欝の日かげをみつめる
その私の心はばたばたと羽ばたきして
小鳥の死ぬるときの醜いすがたのやうだ
ああこのたへがたく悩ましい性の感覚
あまりに恐ろしく憂欝なる。