[hs-a31] さびしい青猫 – 五月の死びと

この生づくりにされたからだは
きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されてる
その胸も その唇も その顔も その腕も
ああ みなどこもしつとりと膏油や刷毛で塗られている。
やさしい五月の死びとよ
わたしは緑金の蛇のやうにのたうちながら
ねばりけのあるものを感触し
さうして「死」の絨毯に肌身をこすりねりつけた。

[hs-a10] 幻の寝台 – 野原に寝る

この感情の伸びてゆくありさま
まつすぐに伸びてゆく喬木のやうに
いのちの芽生のぐんぐんとのびる。
そこの青空へもせいのびをすればとどくやうに
せいも高くなり胸はばもひろくなつた。
たいそううららかな春の空気をすひこんで
小鳥たちが喰べものをたべるやうに
愉快で口をひらいてかはゆらしく
どんなにいのちの芽生たちが伸びてゆくことか。
草木は草木でいつさいに
ああ どんなにぐんぐんと伸びてゆくことか。
ひろびろとした野原にねころんで
まことに愉快な夢をみつづけた。

[hs-a42] 閑雅な食慾 – 思想は一つの意匠であるか

欝蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
仏は蒼明の自然を感じた
どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。

「思想は一つの意匠であるか」
仏は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。

[hs-a21] さびしい青猫 – 題のない歌

南洋の日にやけた裸か女のやうに
夏草の茂つている波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた
ふはふはとした雲が白くたちのぼつて
船員のすふ煙草のけむりがさびしがつてる。
わたしは鶉のやうに羽ばたきながら
さうして丈の高い野茨の上を飛びまはつた
ああ 雲よ 船よ どこに彼女は航海の碇をすてたか
ふしぎな情熱になやみながら
わたしは沈黙の墓地をたづねあるいた
それはこの草叢の風に吹かれている
しづかに 錆びついた 恋愛鳥の木乃伊であつた。

[hs-a53] 艶めける霊魂 – 夢

あかるい屏風のかげにすわつて
あなたのしづかな寝息をきく。
香炉のかなしいけむりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緒
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。

薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。

ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ いづこへ 行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に饐えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神秘なにほひをたたふ。
(とりとめもない夢の気分とその抒情)

[hs-a32] さびしい青猫 – 輪廻と転生

地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
輪の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰欝な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小虫が焼地の穢土にむらがつている。
なんといふいたましい風物だらう
どこにもくびのながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いているのだ
考へることもない かうして暮れ方がちかづくのだらう
恋や孤独やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽霊のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鶏が見ているのか
冬の日のごろごろとる瘠地の丘で もろこしの葉が吹かれている。

[hs-a11] 幻の寝台 – 蝿の唱歌

春はどこまできたか
春はそこまできて桜の匂ひをかぐはせた
子供たちのさけびは野に山に
はるやま見れば白い浮雲がながれている。
さうして私の心はなみだをおぼえる
いつもおとなしくひとりで遊んでいる私のこころだ
この心はさびしい
この心はわかき少年の昔より 私のいのちに日影をおとした
しだいにおほきくなる孤独の日かげ
おそろしい憂欝の日かげはひろがる。
いま室内にひとりで坐つて
暮れゆくたましひの日かげをみつめる
そのためいきはさびしくして
とどまる蝿のやうに力がない
しづかに暮れてゆく春の夕日の中を
私のいのちは力なくさまよひあるき
私のいのちは窓の硝子にとどまりて
たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた。

[hs-a43] 閑雅な食慾 – 厭やらしい景物

雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廃した田舎をみる
そこに感情をくさらして
かれらは馬のやうにくらしていた。

私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく
精神さへも梅雨じみて居る。

雨のながくふる間
私は退屈な田舎に居て
退屈な自然に漂泊している
薄ちやけた幽霊のやうな影をみた。

私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨気の中に
ずつくり濡れたる 孤独の 非常に厭やらしいものを見たのです。

[hs-a22] さびしい青猫 – 艶めかしい墓場

風は柳を吹いています
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくじは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女はここに来たの
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚のくさつた臭ひがする
その腸は日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。

ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 真理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命や肉体はくさつてゆき
「虚無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。

[hs-a54] 艶めける霊魂 – 春宵

嫋めかしくも媚ある風情を
しつとりとした襦袢につつむ
くびれたごむの 跳ねかへす若い肉体を
こんなに近く抱いてるうれしさ
あなたの胸は鼓動にたかまり
その手足は肌にふれ
ほのかにつめたく やさしい感触の匂ひをつたふ。

ああこの溶けてゆく春夜の灯かげに
厚くしつとりと化粧されたる
ひとつの白い額をみる
ちひさな可愛いくちびるをみる
まぼろしの夢に浮んだ顔をながめる。

春夜のただよふ靄の中で
わたしはあなたの思ひをかぐ
あなたの思ひは愛にめざめて
ぱつちりとひらいた黒い瞳は
夢におどろき
みしらぬ歓楽をあやしむやうだ。
しづかな情緒のながれを通つて
ふたりの心にしみゆくもの
ああこのやすらかな やすらかな
すべてを愛に 希望にまかせた心はどうだ。

人生の春のまたたく灯かげに
嫋めかしくも媚ある肉体を
こんなに近く抱いてるうれしさ
処女のやはらかな肌のにほひは
花園にそよげるばらのやうで
情愁のなやましい性のきざしは
桜のはなの咲いたやうだ。