[st-w41] 四 深林の逍遥、其他 – 合唱 一 暗香

はるのよはひかりはかりとおもひしを
しろきやうめのさかりなるらむ

わかきいのちの
をしければ
やみにも春の
香に酔はん

せめてこよひは
さほひめよ
はなさくかげに
うたへかし

そらもえへりや
はるのよは
ほしもかくれて
みえわかず

よめにもそれと
ほのしろく
みだれてにほふ
うめのはな

はるのひかりの
こひしさに
かたちをかくす
うぐひすよ

はなさへしるき
はるのよの
やみをおそるゝ
ことなかれ

うめをめぐりて
ゆくみづの
やみをながるゝ
せゝらぎや

ゆめもさそはぬ
香なりせば
いづれかよるに
にほはまし

こぞのこよひは
わがともの
うすこうばいの
そめごろも

ほかげにうつる
さかづきを
こひのみえへる
よなりけり

こぞのこよひは
わがともの
なみだをうつす
よのなごり

かげもかなしや
木下川に
うれひしづみし
よなりけり

こぞのこよひは
わがともの
おもひははるの
よのゆめや

よをうきものに
いでたまふ
ひとめをつゝむ
よなりけり

こぞのこよひは
わがともの
そでのかすみの
はなむしろ

ひくやことのね
たかじほを
うつしあはせし
よなりけり

わがみぎのてに
くらぶれば
やさしきなれが
たなごころ

ふるればいとゞ
やはらかに
もゆるかあつく
おもほゆる

もゆるやいかに
こよひはと
とひたまふこそ
うれしけれ

しりたまはずや
うめがかに
わがうまれてし
はるのよを

[hs-a09] 幻の寝台 – 春の感情

ふらんすからくる煙草のやにのにほひのやうだ
そのにほひをかいでいると気がうつとりとする
うれはしい かなしい さまざまのいりこみたる空の感情
つめたい銀いろの小鳥のなきごえ
春がくるときのよろこびは
あらゆるひとのいのちをふきならす笛のひびきのやうだ
ふるへる めづらしい野路のくさばな
おもたく雨にぬれた空気の中にひろがるひとつの音色
なやましき女のなきごえはそこにもきこえて
春はしつとりとふくらんでくるやうだ。
春としなれば山奥のふかい森の中でも
くされた木株の中でもうごめくみみずのやうに
私のたましひはぞくぞくとして菌を吹き出す
たとへば毒だけ へびだけ べにひめじのやうなもの
かかる菌の類はあやしげなる色香をはなちて
ひねもすさびしげに匂つている。

春がくる 春がくる
春がくるときのよろこびは あらゆるひとのいのちを吹きならす笛のひびきのやうだ
そこにもここにも
ぞくぞくとしてふきだす菌 毒だけ
また薮かげに生えてほのかに光るべにひめじの類。

[st-w55] 四 深林の逍遥、其他 – 天馬 雄馬

あな天雲にともなはれ
緑の髪をうちふるひ
雄馬は人に随ひて
箱根の嶺を下りけり
胸は踊りて八百潮の
かの蒼溟に湧くごとく
喉はよせくる春涛を
飲めども渇く風情あり
目はひさかたの朝の星
睫毛は草の浅緑
うるほひ光る眼瞳には
千里の外もほがらにて
東に照らし西に入る
天つみそらを渡る日の
朝日夕日の行衛さへ
雲の絶間に極むらん
二つの耳をたとふれば
いと幽なる朝風に
そよげる草の葉のごとく
蹄の音をたとふれば
紫金の色のやきがねを
高くも叩く響あり
狂へば長き鬣の
うちふりうちふる乱れ髪
燃えてはめぐる血の潮の
流れて踊る春の海
噴く紅の光には
火炎の気息もあらだちて
深くも遠き嘶声は
大神の住む梁の
塵を動かす力あり
あゝ朝鳥の音をきゝて
富士の高根の雪に鳴き
夕つげわたる鳥の音に
木曽の御岳の巌を越え
かの青雲に嘶きて
天より天の電影の
光の末に隠るべき
雄馬の身にてありながら
なさけもあつくなつかしき
主人のあとをとめくれば
箱根も遠し三井寺や
日も暖に花深く
さゝなみ青き湖の
岸の此彼草を行く
天の雄馬のすがたをば
誰かは思ひ誰か知る
しらずや人の天雲に
歩むためしはあるものを
天馬の下りて大土に
歩むためしのなからめや
見よ藤の葉の影深く
岸の若草香にいでて
春花に酔ふ蝶の夢
そのかげを履む雄馬には
一つの紅き春花に
見えざる神の宿あり
一つうつろふ野の色に
つきせぬ天のうれひあり
嗚呼鷲鷹の飛ぶ道に
高く懸れる大空の
無限の絃に触れて鳴り
男神女神に戯れて
照る日の影の雲に鳴き
空に流るゝ満潮を
飲みつくすとも渇くべき
天馬よ汝が身を持ちて
鳥のきて啼く鳰の海
花橘の蔭を履む
その姿こそ雄々しけれ

[st-w21] 二 六人の処女 – おつた

花仄見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命
朧々に父母は
二つの影と消えうせて
世に孤児の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き聖に救はれて
人なつかしき前髪の
処女とこそはなりにけれ

若き聖ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜しからば
嗚呼かの酒を飲むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖は魂も酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
情も道の一つなり
かゝる思を見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隠して今も放たじ

[st-w01] 若菜集 – 冒頭部

こゝろなきうたのしらべは
ひとふさのぶだうのごとし
なさけあるてにもつまれて
あたゝかきさけとなるらむ

ぶだうだなふかくかゝれる
むらさきのそれにあらねど
こゝろあるひとのなさけに
かげにおくふさのみつよつ

そはうたのわかきゆえなり
あじはひもいろもあさくて
おほかたはかみてすつべき
うたゝねのゆめのそらごと

[st-w13] 一 秋の思 – 小詩二首 二

しづかにてらせる
月のひかりの
などか絶間なく
ものおもはする
さやけきそのかげ
こえはなくとも
みるひとの胸に
忍び入るなり

なさけは説くとも
なさけをしらぬ
うきよのほかにも
朽ちゆくわがみ
あかさぬおもひと
この月かげと
いづれか声なき
いづれかなしき

[st-w27] 三 生のあけぼの – 四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめじをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早わらびの
したもえいそぐ汝があしを
かたくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ

[hs-t52] 見知らぬ犬 – 孤独

田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめている、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。

田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視ているのか、
ふるへる、わたしの孤独のたましひよ。

このほこりつぽい風景の顔に、
うすく涙がながれている。

[hs-t42] さびしい情慾 – 恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいじらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。