その菊は酢え、
その菊はいたみしたたる、
あはれあれ霜つきはじめ、
わがぷらちなの手はしなへ、
するどく指をとがらして、
菊をつまむとねがふより、
その菊をばつむことなかれとて、
かがやく天の一方に、
菊は病み、
饐えたる菊はいたみたる。
Category Archives: 詩
[st-w43] 四 深林の逍遥、其他 – 合唱 三 葡萄の樹のかげ
はるあきにおもひみたれてわきかねつ
ときにつけつゝうつるこゝろは
妹
たのしからずや
はなやかに
あきはいりひの
てらすとき
たのしからずや
ぶだうばの
はごしにくもの
かよふとき
姉
やさしからずや
むらさきの
ぶだうのふさの
かゝるとき
やさしからずや
にひぼしの
ぶだうのたまに
うつるとき
妹
かぜはしづかに
そらすみて
あきはたのしき
ゆふまぐれ
いつまでわかき
をとめごの
たのしきゆめの
われらぞや
姉
あきのぶだうの
きのかげの
いかにやさしく
ふかくとも
てにてをとりて
かげをふむ
なれとわかれて
なにかせむ
妹
げにやかひなき
くりごとも
ぶだうにしかじ
ひとふさの
われにあたへよ
ひとふさを
そこにかゝれる
むらさきの
姉
われをしれかし
えだたかみ
とゞかじものを
かのふさは
はかげのたまに
てはふれて
わがさしぐしの
おちにけるかな
[hs-a35] 閑雅な食慾 – 閑雅な食慾
松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である。
をとめは恋恋の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である。
[hs-a55] ○ – 軍隊
通行する軍隊の印象
この重量のある機械は
地面をどつしりと圧へつける
地面は強く踏みつけられ
反動し
濛濛とする埃をたてる。
この日中を通つている
巨重の逞ましい機械をみよ
黝鉄の油ぎつた
ものすごい頑固な巨体だ
地面をどつしりと圧へつける
巨きな集団の動力機械だ。
づしり、づしり、ばたり、ばたり
ざつく、ざつく、ざつく、ざつく。
この兇逞な機械の行くところ
どこでも風景は褪色し
黄色くなり
日は空に沈欝して
意志は重たく圧倒される。
づしり、づしり、ばたり、ばたり
お一、二、お一、二。
お この重圧する
おほきなまつ黒の集団
浪の押しかへしてくるやうに
重油の濁つた流れの中を
熱した銃身の列が通る
無数の疲れた顔が通る。
ざつく、ざつく、ざつく、ざつく
お一、二、お一、二。
暗澹とした空の下を
重たい鋼鉄の機械が通る
無数の拡大した瞳孔が通る
それらの瞳孔は熱にひらいて
黄色い風景の恐怖のかげに
空しく力なく彷徨する。
疲労し
困憊し
幻惑する。
お一、二、お一、二
歩調取れえ!
お このおびただしい瞳孔
埃の低迷する道路の上に
かれらは憂欝の日ざしをみる
ま白い幻像の市街をみる
感情の暗く幽囚された。
づしり、づしり、づたり、づたり
ざつく、ざつく、ざつく、ざつく。
いま日中を通行する
黝鉄の凄く油ぎつた
巨重の逞ましい機械をみよ
この兇逞な機械の踏み行くところ
どこでも風景は褪色し
空気は黄ばみ
意志は重たく圧倒される。
づしり、づしり、づたり、づたり
づしり、どたり、ばたり、ばたり。
お一、二、お一、二。
[hs-t45] さびしい情慾 – 肖像
あいつはいつも歪んだ顔をして、
窓のそばに突つ立つている、
白いさくらが咲く頃になると、
あいつはまた地面の底から、
むぐらもちのやうに這ひ出してくる、
じつと足音をぬすみながら、
あいつが窓にしのびこんだところで、
おれは早取写真にうつした。
ぼんやりした光線のかげで、
白つぽけた乾板をすかして見たら、
なにかの影のやうに薄く写つていた。
おれのくびから上だけが、
おいらん草のやうにふるへていた。
[hs-a26] さびしい青猫 – 寄生蟹のうた
潮みづのつめたくながれて
貝の歯はいたみに齲ばみ酢のやうに溶けてしまつた
ああここにはもはや友だちもない 恋もない
渚にぬれて亡霊のやうな草を見ている
その草の根はけむりのなかに白くかすんで
春夜のなまぬるい恋びとの吐息のやうです。
おぼろにみえる沖の方から
船人はふしぎな航海の歌をうたつて 拍子も高く楫の音がきこえてくる。
あやしくもここの磯辺にむらがつて
むらむらとうづ高くもりあがり また影のやうに這ひまはる
それは雲のやうなひとつの心像 さびしい寄生蟹の幽霊ですよ。
[st-w26] 三 生のあけぼの – 三 春は来ぬ
春はきぬ
春はきぬ
初音やさしきうぐひすよ
こぞに別離を告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳の冬
春はきぬ
春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし
春はきぬ
春はきぬ
浅みどりなる新草よ
とほき野面を画けかし
さきては紅き春花よ
樹々の梢を染めよかし
春はきぬ
春はきぬ
霞よ雲よ動ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ
春はきぬ
春はきぬ
春をよせくる朝汐よ
芦の枯葉を洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴よ
若きあしたの空に飛べ
春はきぬ
春はきぬ
うれひの芹の根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし
[hs-t49] 見知らぬ犬 – 蛙よ
蛙よ、
青いすすきやよしの生えてる中で、
蛙は白くふくらんでいるやうだ、
雨のいつぱいにふる夕景に、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。
まつくらの地面をたたきつける、
今夜は雨や風のはげしい晩だ、
つめたい草の葉つぱの上でも、
ほつと息をすひこむ蛙、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。
蛙よ、
わたしの心はお前から遠くはなれて居ない、
わたしは手に灯灯をもつて、
くらい庭の面を眺めて居た、
雨にしほるる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。
[hs-a43] 閑雅な食慾 – 厭やらしい景物
雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廃した田舎をみる
そこに感情をくさらして
かれらは馬のやうにくらしていた。
私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく
精神さへも梅雨じみて居る。
雨のながくふる間
私は退屈な田舎に居て
退屈な自然に漂泊している
薄ちやけた幽霊のやうな影をみた。
私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨気の中に
ずつくり濡れたる 孤独の 非常に厭やらしいものを見たのです。
[hs-a22] さびしい青猫 – 艶めかしい墓場
風は柳を吹いています
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくじは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女はここに来たの
やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡霊よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚のくさつた臭ひがする
その腸は日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 真理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命や肉体はくさつてゆき
「虚無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。