[st-w24] 三 生のあけぼの – 一 たれかおもはむ

たれかおもはむ鴬の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間と
あゝよしさらば美酒に
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれないのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさん春の夜を

[st-w37] 四 深林の逍遥、其他 – 二

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふじばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峡より
やゝひらけたる深山木の
春は小枝のたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青き巌に流れ落ち
若き猿のためにだに
音をとゞむる時ぞなき

山精

ゆふぐれかよふ
たびびとの
むねのおもひを
たれかしる

友にもあらぬ
やまかはの
はるのこゝろを
たれかしる

木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しづくなれ

山精

鹿はたふるゝ
たびごとに
妻こふこひに
かへるなり

のやまは枯るゝ
たびごとに
ちとせのはるに
かへるなり

木精

ふるきおちばを
やはらかき
青葉のかげに
葬れよ

ふゆのゆめじを
さめいでて
はるのはやしに
きたれかし

[hs-a32] さびしい青猫 – 輪廻と転生

地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
輪の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰欝な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小虫が焼地の穢土にむらがつている。
なんといふいたましい風物だらう
どこにもくびのながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いているのだ
考へることもない かうして暮れ方がちかづくのだらう
恋や孤独やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽霊のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鶏が見ているのか
冬の日のごろごろとる瘠地の丘で もろこしの葉が吹かれている。

[hs-t52] 見知らぬ犬 – 孤独

田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめている、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。

田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視ているのか、
ふるへる、わたしの孤独のたましひよ。

このほこりつぽい風景の顔に、
うすく涙がながれている。

[hs-a51] 艶めける霊魂 – 花やかなる情緒

深夜のしづかな野道のほとりで
さびしい電灯が光つている
さびしい風が吹きながれる
このあたりの山には樹木が多く
楢、桧、山毛欅、樫、欅の類
枝葉もしげく欝蒼とこもつている。

そこやかしこの暗い森から
また遥かなる山山の麓の方から
さびしい弧灯をめあてとして
むらがりつどへる蛾をみる。
蝗のおそろしい群のやうに
光にうづまき くるめき 押しあひ死にあふ小虫の群団。

人里はなれた山の奥にも
夜ふけてかがやく弧灯をゆめむ。
さびしい花やかな情緒をゆめむ。
さびしい花やかな灯火の奥に
ふしぎな性の悶えをかんじて
重たい翼をばたばたさせる
かすてらのやうな蛾をみる
あはれな 孤独の あこがれきつたいのちをみる。

いのちは光をさして飛びかひ
光の周囲にむらがり死ぬ
ああこの賑はしく 艶めかしげなる春夜の動静
露つぽい空気の中で
花やかな弧灯は眠り 灯火はあたりの自然にながれている。
ながれている哀傷の夢の影のふかいところで
私はときがたい神秘をおもふ
万有の 生命の 本能の 孤独なる
永遠に永遠に孤独なる 情緒のあまりに花やかなる。

[hs-t46] さびしい情慾 – さびしい人格

さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話していよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、
ありとあらゆる人間の生活の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう、
まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれていた。

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰欝にする、
むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見ているのが好きだ、
ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉のやうなみすぼらしい様子をして、
人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。

[hs-a02] 幻の寝台 – 寝台を求む

どこに私たちの悲しい寝台があるか
ふつくりとした寝台の 白いふとんの中にうづくまる手足があるか
私たち男はいつも悲しい心でいる
私たちは寝台をもたない
けれどもすべての娘たちは寝台をもつ
すべての娘たちは 猿に似たちひさな手足をもつ
さうして白い大きな寝台の中で小鳥のやうにうづくまる
すべての娘たちは 寝台の中でたのしげなすすりなきをする
ああ なんといふしあはせの奴らだ
この娘たちのやうに
私たちもあたたかい寝台をもとめて
私たちもさめざめとすすりなきがしてみたい。
みよ すべての美しい寝台の中で 娘たちの胸は互にやさしく抱きあふ
心と心と
手と手と
足と足と
からだとからだとを紐にてむすびつけよ
心と心と
手と手と
足と足と
からだとからだとを撫でることによりて慰めあへよ
このまつ白の寝台の中では
なんといふ美しい娘たちの皮膚のよろこびだ
なんといふいじらしい感情のためいきだ。
けれども私たち男の心はまづしく
いつも悲しみにみちて大きな人類の寝台をもとめる
その寝台はばね仕掛けでふつくりとしてあたたかい
まるで大雪の中にうづくまるやうに
人と人との心がひとつに解けあふ寝台
かぎりなく美しい愛の寝台
ああ どこに求める 私たちの悲しい寝台があるか
どこに求める
私たちのひからびた醜い手足
このみじめな疲れた魂の寝台はどこにあるか。

[st-w10] 一 秋の思 – 秋風の歌

さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく
しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲の
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影高く秋は黄の
桐の梢の琴の音に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隠る

ふりさけ見れば青山も
色はもみじに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡にあらはれぬ

清しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみじ葉にきたるとき

道を伝ふる婆羅門の
西に東に散るごとく
吹き漂蕩す秋風に
飄り行く木の葉かな

朝羽うちふる鷲鷹の
明闇天をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり

見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉を落すとき

人は利剣を振へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世をのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり

高くも烈し野も山も
息吹まどはす秋風よ
世をかれ/″\となすまでは
吹きも休むべきけはひなし

あゝうらさびし天地の
壷の中なる秋の日や
落葉と共に飄る
風の行衛を誰か知る

[hs-t28] くさつた蛤 – なやましき春夜の感覚とその疾患

内部に居る人が畸形な病人に見える理由

わたしは窓かけのれいすのかげに立つて居ります、
それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、
それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、
につける製の犬だの羊だの、
あたまのはげた子供たちの歩いている林をみて居ります、
それらがわたくしの瞳を、いくらかかすんでみせる理由です。
わたくしはけさきやべつの皿を喰べすぎました、
そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、
それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。
じつさいのところを言へば、
わたくしは健康すぎるぐらいなものです、
それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめている。
なんだつてそんなに薄気味わるく笑つている。
おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、
そのへんがはつきりしないといふのならば、
いくらか馬鹿げた疑問であるが、
もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、
家の内部に立つているわけです。