赤松の林をこえて、
くらきおほなみはとほく光つていた、
このさびしき越後の海岸、
しばしはなにを祈るこころぞ、
ひとり夕餉ををはりて、
海水旅館の居間に灯を点ず。
くじら浪海岸にて
Category Archives: 月に吠える
[hs-t52] 見知らぬ犬 – 孤独
田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめている、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。
田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視ているのか、
ふるへる、わたしの孤独のたましひよ。
このほこりつぽい風景の顔に、
うすく涙がながれている。
[hs-t53] 見知らぬ犬 – 白い共同椅子
森の中の小径にそうて、
まつ白い共同椅子がならんでいる、
そこらはさむしい山の中で、
たいそう緑のかげがふかい、
あちらの森をすかしてみると、
そこにもさみしい木立がみえて、
上品な、まつしろな椅子の足がそろつている。
[hs-t54] 見知らぬ犬 – 田舎を恐る
わたしは田舎をおそれる、
田舎の人気のない水田の中にふるへて、
ほそながくのびる苗の列をおそれる。
くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。
田舎のあぜみちに坐つていると、
おほなみのやうな土壌の重みが、わたしの心をくらくする、
土壌のくさつたにほひが私の皮膚をくろずませる、
冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。
田舎の空気は陰欝で重くるしい、
田舎の手触りはざらざらして気もちがわるい、
わたしはときどき田舎を思ふと、
きめのあらい動物の皮膚のにほひに悩まされる。
わたしは田舎をおそれる、
田舎は熱病の青じろい夢である。
[hs-t55] 長詩二篇 – 雲雀の巣
おれはよにも悲しい心を抱いて故郷の河原を歩いた。
河原には、よめな、つくしのたぐひ、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えていた。
その低い砂山の蔭には利根川がながれている。ぬすびとのやうに暗くやるせなく流れている、
おれはじつと河原にうづくまつていた。
おれの眼のまへには河原よもぎの草むらがある。
ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髪の毛のやうに、へらへらと風にうごいていた。
おれはあるいやなことをかんがへこんでいる。それは恐ろしく不吉なかんがへだ。
そのうへ、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、おれはぐつたり汗ばんでいる。
あへぎ苦しむひとが水をもとめるやうに、おれはぐいと手をのばした。
おれのたましひをつかむやうにしてなにものかをつかんだ。
干からびた髪の毛のやうなものをつかんだ。
河原よもぎの中にかくされた雲雀の巣。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いている。
おれはかわいさうな雲雀の巣をながめた。
巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも毬のやうにふくらんだ。
いとけなく育くまれるものの愛に媚びる感覚が、あきらかにおれの心にかんじられた。
おれはへんてこに寂しくそして苦しくなつた。
おれはまた親鳥のやうに頚をのばして巣の中をのぞいた。
巣の中は夕暮どきの光線のやうに、うすぼんやりとしてくらかつた。
かぼそい植物の繊毛に触れるやうな、たとへやうもなく DELICATE の哀傷が、影のやうに神経の末梢をかすめて行つた。
巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つていた。
わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。
生あつたかい生物の呼吸が親指の腹をくすぐつた。
死にかかつた犬をみるときのやうな歯がゆい感覚が、おれの心の底にわきあがつた。
かういふときの人間の感覚の生ぬるい不快さから惨虐な罪が生れる。罪をおそれる心は罪を生む心のさきがけである。
おれは指と指とにはさんだ卵をそつと日光にすかしてみた。
うす赤いぼんやりしたものが血のかたまりのやうに透いてみえた。
つめたい汁のやうなものが感じられた、
そのとき指と指とのあひだに生ぐさい液体がじくじくと流れているのをかんじた。
卵がやぶれた、
野蛮な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。
鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ字が、赤くほんのりと書かれていた。
いたいけな小鳥の芽生、小鳥の親。
その可愛らしいくちばしから造つた巣、一所けんめいでやつた小動物の仕事、愛すべき本能のあらはれ。
いろいろな善良な、しほらしい考が私の心の底にはげしくこみあげた。
おれは卵をやぶつた。
愛と悦びとを殺して悲しみと呪ひとにみちた仕事をした。
くらい不愉快なおこなひをした。
おれは陰欝な顔をして地面をながめつめた。
地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいていた。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空では雲雀の親が鳴いている。
なまぐさい春のにほひがする。
おれはまたあのいやのことをかんがへこんだ。
人間が人間の皮膚のにほひを嫌ふといふこと。
人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。
あるとき人間が馬のやうに見えること。
人間が人間の愛にうらぎりすること。
人間が人間をきらふこと。
ああ、厭人病者。
ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと厭人病者の話が出て居た。
それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。
心が愛するものを肉体で愛することの出来ないといふのは、なんたる邪悪の思想であらう。なんたる醜悪の病気であらう。
おれは生れていつぺんでも娘たちに接吻したことはない、
ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄らしい言葉を言つたことすらもない。
ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。
おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。
おれはときどき、すべての人々から脱れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつて涙ぐましくなる。
おれはいつでも、人気のない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑閙を思ふのがすきだ。
遠い都の灯ともし頃に、ひとりで故郷の公園地をあるくのがすきだ。
ああ、きのふもきのふとて、おれは悲しい夢をみつづけた。
おれはくさつた人間の血のにほひをかいだ。
おれはくるしくなる。
おれはさびしくなる。
心で愛するものを、なにゆえに肉体で愛することができないのか。
おれは懺悔する。
懺悔する。
おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。
利根川の河原の砂の上に坐つて懺悔をする。
ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、空では雲雀の親たちが鳴いている。
河原蓬の根がぼうぼうとひろがつている。
利根川はぬすびとのやうにこつそりと流れている。
あちらにも、こちらにも、うれはしげな農人の顔がみえる。
それらの顔はくらくして地面をばかりみる。
地面には春が疱瘡のやうにむつくりと吹き出して居る。
おれはいじらしくも雲雀の卵を拾ひあげた。
[hs-t56] 長詩二篇 – 笛
子供は笛が欲しかつた。
その時子供のお父さんは書きものをして居るらしく思はれた。
子供はお父さんの部屋をのぞきに行つた。
子供はひつそりと扉のかげに立つていた。
扉のかげにはさくらの花のにほひがする。
そのとき室内で大人はかんがへこんでいた、
大人の思想がくるくると渦まきをした、ある混み入つた思想のじれんまが大人の心を痙攣させた。
みれば、ですくの上に突つ伏した大人の額を、いつのまにか蛇がぎりぎりとまきつけていた。
それは春らしい今朝の出来事が、そのひとの心を憂はしくしたのである。
本能と良心と、
わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする大人の心のうらさびしさよ、
力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のやうにもつれあひつつ、ほのぐらき明窓のあたりをさまようた。
人は自分の頭のうへに、それらの悲しい幽霊の通りゆく姿をみた。
大人は恐ろしさに息をひそめながら祈をはじめた
「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめたまへ」
けれどもながいあひだ、幽霊は扉のかげを出這入りした。
扉のかげにはさくらの花のにほひがした。
そこには青白い顔をした病身のかれの子供が立つて居た。
子供は笛が欲しかつたのである。
子供は扉をひらいて部屋の一隅に立つていた。
子供は窓際のですくに突つ伏したおほいなる父の頭脳をみた。
その頭脳のあたりは甚だしい陰影になつていた。
子供の視線が蝿のやうにその場所にとまつていた。
子供のわびしい心がなにものかにひきつけられていたのだ。
しだいに子供の心が力をかんじはじめた、
子供は実に、はつきりとした声で叫んだ。
みればそこには笛がおいてあつたのだ。
子供が欲しいと思つていた紫いろの小さい笛があつたのだ。
子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかつた。
それ故この事実はまつたく偶然の出来事であつた。
おそらくはなにかの不思議なめぐりあはせであつたのだ。
けれども子供はかたく父の奇跡を信じた。
もつとも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、
卓の上に置かれた笛について。