はげしいむし歯のいたみから、
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つていた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を泥だらけにしながら、
つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえている、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいていた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
幼童思慕詩篇
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[hs-t49] 見知らぬ犬 – 蛙よ
蛙よ、
青いすすきやよしの生えてる中で、
蛙は白くふくらんでいるやうだ、
雨のいつぱいにふる夕景に、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。
まつくらの地面をたたきつける、
今夜は雨や風のはげしい晩だ、
つめたい草の葉つぱの上でも、
ほつと息をすひこむ蛙、
ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ、と鳴く蛙。
蛙よ、
わたしの心はお前から遠くはなれて居ない、
わたしは手に灯灯をもつて、
くらい庭の面を眺めて居た、
雨にしほるる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。
[hs-a15] 憂欝なる桜 – 黒い風琴
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふつている音のやうに
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。
だれがそこで唱つているの
だれがそこでしんみりと聴いているの
ああこのまつ黒な憂欝の闇のなかで
べつたりと壁にすひついて
おそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
お弾きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のやうに
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。
ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんといふはげしく陰欝なる感情のけいれんよ。
[st-w19] 二 六人の処女 – おさよ
潮さみしき荒磯の
巌陰われは生れけり
あしたゆふべの白駒と
故郷遠きものおもひ
をかしくものに狂へりと
われをいふらし世のひとの
げに狂はしの身なるべき
この年までの処女とは
うれひは深く手もたゆく
むすぼほれたるわが思
流れて熱きわがなみだ
やすむときなきわがこゝろ
乱れてものに狂ひよる
心を笛の音に吹かん
笛をとる手は火にもえて
うちふるひけり十の指
音にこそ渇け口唇の
笛を尋ぬる風情あり
はげしく深きためいきに
笛の小竹や曇るらん
髪は乱れて落つるとも
まづ吹き入るゝ気息を聴け
力をこめし一ふしに
黄楊のさし櫛落ちてけり
吹けば流るゝ流るれば
笛吹き洗ふわが涙
短き笛の節の間も
長き思のなからずや
七つの情声を得て
音をこそきかめ歌神も
われ喜を吹くときは
鳥も梢に音をとゞめ
怒をわれの吹くときは
瀬を行く魚も淵にあり
われ哀を吹くときは
獅子も涙をそゝぐらむ
われ楽を吹くときは
虫も鳴く音をやめつらむ
愛のこゝろを吹くときは
流るゝ水のたち帰り
悪をわれの吹くときは
散り行く花も止りて
慾の思を吹くときは
心の闇の響あり
うたへ浮世の一ふしは
笛の夢路のものぐるひ
くるしむなかれ吾友よ
しばしは笛の音に帰れ
落つる涙をぬぐひきて
静かにきゝね吾笛を