[hs-a15] 憂欝なる桜 – 黒い風琴

おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
あなたは黒い着物をきて
おるがんの前に坐りなさい
あなたの指はおるがんを這ふのです
かるく やさしく しめやかに 雪のふつている音のやうに
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。

だれがそこで唱つているの
だれがそこでしんみりと聴いているの
ああこのまつ黒な憂欝の闇のなかで
べつたりと壁にすひついて
おそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか
宗教のはげしい感情 そのふるへ
けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!
お祈りなさい 病気のひとよ
おそろしいことはない おそろしい時間はないのです
お弾きなさい おるがんを
やさしく とうえんに しめやかに
大雪のふりつむときの松葉のやうに
あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい
お弾きなさい おるがんを
おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。

ああ まつくろのながい着物をきて
しぜんに感情のしづまるまで
あなたはおほきな黒い風琴をお弾きなさい
おそろしい暗闇の壁の中で
あなたは熱心に身をなげかける
あなた!
ああ なんといふはげしく陰欝なる感情のけいれんよ。

[st-w03] 一 秋の思 – 初恋

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の杯を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

[st-w18] 二 六人の処女 – おきぬ

みそらをかける猛鷲の
人の処女の身に落ちて
花の姿に宿かれば
風雨に渇き雲に饑え
天翅るべき術をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪長き吾身こそ
うまれながらの盲目なれ

芙蓉を前の身とすれば
涙は秋の花の露
小琴を前の身とすれば
愁は細き糸の音
いま前の世は鷲の身の
処女にあまる羽翼かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあじきなき浅茅生の
茂れる宿と思ひなし
身は術もなき蟋蟀の
夜の野草にはひめぐり
たゞいたづらに音をたてて
うたをうたふと思ふかな

色にわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらも空の鳥
猛鷲ながら人の身の
天と地とに迷ひいる
身の定めこそ悲しけれ