[hs-t30] くさつた蛤 – 春夜

浅蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みじんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいている。
あはれこの生あたたかい春の夜に、
そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るいの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいている、
ふらりふらりと歩いている。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。

[hs-a24] さびしい青猫 – 鴉毛の婦人

やさしい鴉毛の婦人よ
わたしの家根裏の部屋にしのんできて
麝香のなまめかしい匂ひをみたす
貴女はふしぎな夜鳥
木製の椅子にさびしくとまつて
その嘴は心臓をついばみ 瞳孔はしづかな涙にあふれる
夜鳥よ
このせつない恋情はどこからくるか
あなたの憂欝なる衣裳をぬいで はや夜露の風に飛びされ。

[st-w22] 二 六人の処女 – おきく

くろかみながく
やはらかき
をんなごころを
たれかしる

をとこのかたる
ことのはを
まこととおもふ
ことなかれ

をとめごころの
あさくのみ
いひもつたふる
をかしさや

みだれてながき
鬢の毛を
黄楊の小櫛に
かきあげよ

あゝ月ぐさの
きえぬべき
こひもするとは
たがことば

こひて死なんと
よみいでし
あつきなさけは
誰がうたぞ

みちのためには
ちをながし
くにには死ぬる
をとこあり

治兵衛はいづれ
恋か名か
忠兵衛も名の
ために果つ

あゝむかしより
こひ死にし
をとこのありと
しるや君

をんなごころは
いやさらに
ふかきなさけの
こもるかな

小春はこひに
ちをながし
梅川こひの
ために死ぬ

お七はこひの
ために焼け
高尾はこひの
ために果つ

かなしからずや
清姫は
蛇となれるも
こひゆえに

やさしからずや
佐容姫は
石となれるも
こひゆえに

をとこのこひの
たはぶれは
たびにすてゆく
なさけのみ

こひするなかれ
をとめごよ
かなしむなかれ
わがともよ

こひするときと
かなしみと
いづれかながき
いづれみじかき