かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、
春がみつちりとふくれてしまつた、
げにげに眺めみわたせば、
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
桜のはなをみてあれば、
桜のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、
たとへば蛾蝶のごときものさへ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。
ああ、瞳にもみえざる、
このかすかな卵のかたちは楕円形にして、
それがいたるところに押しあひへしあひ、
空気中いつぱいにひろがり、
ふくらみきつたごむまりのやうに固くなつているのだ、
よくよく指のさきでつついてみたまへ、
春といふものの実体がおよそこのへんにある。
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[hs-a13] 憂欝なる桜 – 憂欝なる花見
憂欝なる桜が遠くからにほひはじめた
桜の枝はいちめんにひろがつている
日光はきらきらとしてはなはだまぶしい
私は密閉した家の内部に住み
日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる
その卵や肉はくさりはじめた
遠く桜のはなは酢え
桜のはなの酢えた匂ひはうつたうしい
いまひとびとは帽子をかぶつて外光の下を歩きにでる
さうして日光が遠くにかがやいている
けれども私はこの暗い室内にひとりで坐つて
思ひをはるかなる桜のはなの下によせ
野山にたはむれる青春の男女によせる
ああいかに幸福なる人生がそこにあるか
なんといふよろこびが輝やいていることか
いちめんに枝をひろげた桜の花の下で
わかい娘たちは踊ををどる
娘たちの白くみがいた踊の手足
しなやかにおよげる衣装
ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつていることか
花見のうたごえは横笛のやうにのどかで
かぎりなき憂欝のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙をもてぬぐはれ
閉じこめたる窓のほとりに力なくすすりなく
ああこのひとつのまづしき心はなにものの生命をもとめ
なにものの影をみつめて泣いているのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで
遠く花見の憂欝なる横笛のひびきをきく。
[hs-a14] 憂欝なる桜 – 夢にみる空家の庭の秘密
その空家の庭に生えこむものは松の木の類
びはの木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる
それら青いものの生命
それら青いもののさかんな生活
その空家の庭はいつも植物の日影になつて薄暗い
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ
夜も昼もさよさよと悲しくひくくながれる水の音
またじめじめとした垣根のあたり
なめくじ へび かへる とかげ類のぬたぬたとした気味わるいすがたをみる。
さうしてこの幽邃な世界のうへに
夜は青じろい月の光がてらしている
月の光は前栽の植込からしつとりとながれこむ。
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ
ああ このいろいろのもののかくされた秘密の生活
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界
月光の中にうかびいづる羊歯 わらび 松の木の枝
なめくじ へび とかげ類の無気味な生活
ああ わたしの夢によくみる このひと住まぬ空家の庭の秘密と
いつもその謎のとけやらぬおもむき深き幽邃のなつかしさよ。
[st-w36] 四 深林の逍遥、其他 – 一
力を刻む木匠の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花彫刻の
鑿の韻もとゞめじな
いろさま/″\の春の葉に
青一筆の痕もなく
千枝にわかるゝ赤樟も
おのづからなるすがたのみ
桧は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじゆる白樫や
樗は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓
山精
ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる
ひとにしられぬ
はるのひの
かすみのおくを
たれかしる
木精
はなのむらさき
はのみどり
うらわかぐさの
のべのいと
たくみをつくす
大機の
梭のはやしに
きたれかし
山精
かのもえいづる
くさをふみ
かのわきいづる
みづをのみ
かのあたらしき
はなにえひ
はるのおもひの
なからずや
木精
ふるきころもを
ぬぎすてて
はるのかすみを
まとへかし
なくうぐひすの
ねにいでて
ふかきはやしに
うたへかし