[hs-t42] さびしい情慾 – 恋を恋する人

わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいじらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。

[hs-t43] さびしい情慾 – 五月の貴公子

若草の上をあるいているとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいているとき、
わたしは五月の貴公子である。

[st-w36] 四 深林の逍遥、其他 – 一

力を刻む木匠の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花彫刻の
鑿の韻もとゞめじな
いろさま/″\の春の葉に
青一筆の痕もなく
千枝にわかるゝ赤樟も
おのづからなるすがたのみ
桧は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじゆる白樫や
樗は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

山精

ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる

ひとにしられぬ
はるのひの
かすみのおくを
たれかしる

木精

はなのむらさき
はのみどり
うらわかぐさの
のべのいと

たくみをつくす
大機の
梭のはやしに
きたれかし

山精

かのもえいづる
くさをふみ
かのわきいづる
みづをのみ

かのあたらしき
はなにえひ
はるのおもひの
なからずや

木精

ふるきころもを
ぬぎすてて
はるのかすみを
まとへかし

なくうぐひすの
ねにいでて
ふかきはやしに
うたへかし