[st-w32] 三 生のあけぼの – 酔歌

旅と旅との君や我
君と我とのなかなれば
酔ふて袂の歌草を
醒めての君に見せばやな

若き命も過ぎぬ間に
楽しき春は老いやすし
誰が身にもてる宝ぞや
君くれないのかほばせは

君がまなこに涙あり
君が眉には憂愁あり
堅く結べるその口に
それ声も無きなげきあり

名もなき道を説くなかれ
名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより
来りて美き酒に泣け

光もあらぬ春の日の
独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に
老いにけらしな旅人よ

心の春の燭火に
若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば
哀しからずや君が身は

わきめもふらで急ぎ行く
君の行衛はいづこぞや
琴花酒のあるものを
とゞまりたまへ旅人よ

[st-w15] 一 秋の思 – 別離

人妻をしたへる男の山に登り其
女の家を望み見てうたへるうた
誰かとゞめん旅人の
あすは雲間に隠るゝを
誰か聞くらん旅人の
あすは別れと告げましを

清き恋とや片し貝
われのみものを思ふより
恋はあふれて濁るとも
君に涙をかけましを

人妻恋ふる悲しさを
君がなさけに知りもせば
せめてはわれを罪人と
呼びたまふこそうれしけれ

あやめもしらぬ憂しや身は
くるしきこひの牢獄より
罪の鞭責をのがれいで
こひて死なんと思ふなり

誰かは花をたづねざる
誰かは色彩に迷はざる
誰かは前にさける見て
花を摘まんと思はざる

恋の花にも戯るゝ
嫉妬の蝶の身ぞつらき
二つの羽もをれ/\て
翼の色はあせにけり

人の命を春の夜の
夢といふこそうれしけれ
夢よりもいや/\深き
われに思ひのあるものを

梅の花さくころほひは
蓮さかばやと思ひわび
蓮の花さくころほひは
萩さかばやと思ふかな

待つまも早く秋は来て
わが踏む道に萩さけど
濁りて待てる吾恋は
清き怨となりにけり