[hs-t12] 雲雀料理 – 感傷の手

わが性のせんちめんたる、
あまたある手をかなしむ、
手はつねに頭上にをどり、
また胸にひかりさびしみしが、
しだいに夏おとろへ、
かへれば燕はや巣を立ち、
おほ麦はつめたくひやさる。
ああ、都をわすれ、
われすでに胡弓を弾かず、
手ははがねとなり、
いんさんとして土地を掘る。
いじらしき感傷の手は土地を掘る。

[hs-t46] さびしい情慾 – さびしい人格

さびしい人格が私の友を呼ぶ、
わが見知らぬ友よ、早くきたれ、
ここの古い椅子に腰をかけて、二人でしづかに話していよう、
なにも悲しむことなく、きみと私でしづかな幸福な日をくらさう、
遠い公園のしづかな噴水の音をきいて居よう、
しづかに、しづかに、二人でかうして抱き合つて居よう、
母にも父にも兄弟にも遠くはなれて、
母にも父にも知らない孤児の心をむすび合はさう、
ありとあらゆる人間の生活の中で、
おまへと私だけの生活について話し合はう、
まづしいたよりない、二人だけの秘密の生活について、
ああ、その言葉は秋の落葉のやうに、そうそうとして膝の上にも散つてくるではないか。

わたしの胸は、かよわい病気したをさな児の胸のやうだ。
わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるやうだ。
ああいつかも、私は高い山の上へ登つて行つた、
けはしい坂路をあふぎながら、虫けらのやうにあこがれて登つて行つた、
山の絶頂に立つたとき、虫けらはさびしい涙をながした。
あふげば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、おほきな白つぽい雲がながれていた。

自然はどこでも私を苦しくする、
そして人情は私を陰欝にする、
むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、
とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、
ぼんやりした心で空を見ているのが好きだ、
ああ、都会の空をとほく悲しくながれてゆく煤煙、
またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。

よにもさびしい私の人格が、
おほきな声で見知らぬ友をよんで居る、
わたしの卑屈な不思議な人格が、
鴉のやうなみすぼらしい様子をして、
人気のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。

[hs-a10] 幻の寝台 – 野原に寝る

この感情の伸びてゆくありさま
まつすぐに伸びてゆく喬木のやうに
いのちの芽生のぐんぐんとのびる。
そこの青空へもせいのびをすればとどくやうに
せいも高くなり胸はばもひろくなつた。
たいそううららかな春の空気をすひこんで
小鳥たちが喰べものをたべるやうに
愉快で口をひらいてかはゆらしく
どんなにいのちの芽生たちが伸びてゆくことか。
草木は草木でいつさいに
ああ どんなにぐんぐんと伸びてゆくことか。
ひろびろとした野原にねころんで
まことに愉快な夢をみつづけた。

[hs-a31] さびしい青猫 – 五月の死びと

この生づくりにされたからだは
きれいに しめやかに なまめかしくも彩色されてる
その胸も その唇も その顔も その腕も
ああ みなどこもしつとりと膏油や刷毛で塗られている。
やさしい五月の死びとよ
わたしは緑金の蛇のやうにのたうちながら
ねばりけのあるものを感触し
さうして「死」の絨毯に肌身をこすりねりつけた。