[st-w16] 一 秋の思 – 望郷

寺をのがれいでたる僧のうたひ
しそのうた
いざさらば
これをこの世のわかれぞと
のがれいでては住みなれし
御寺の蔵裏の白壁の
眼にもふたたび見ゆるかな

いざさらば
住めば仏のやどりさへ
火炎の宅となるものを
なぐさめもなき心より
流れて落つる涙かな

いざさらば
心の油濁るとも
ともしびたかくかきおこし
なさけは熱くもゆる火の
こひしき塵にわれは焼けなむ

[st-w57] 四 深林の逍遥、其他 – 天馬 鶏

花によりそふ鶏の
夫よ妻鳥よ燕子花
いづれあやめとわきがたく
さも似つかしき風情あり

姿やさしき牝鶏の
かたちを恥づるこゝろして
花に隠るゝありさまに
品かはりたる夫鳥や

雄々しくたけき雄鶏の
とさかの色も艶にして
黄なる口觜脚蹴爪
尾はしだり尾のなが/\し

問ふても見まし誰がために
よそほひありく夫鳥よ
妻守るためのかざりにと
いひたげなるぞいじらしき

画にこそかけれ花鳥の
それにも通ふ一つがひ
霜に侘寝の朝ぼらけ
雨に入日の夕まぐれ

空に一つの明星の
闇行く水に動くとき
日を迎へんと鶏の
夜の使を音にぞ鳴く

露けき朝の明けて行く
空のながめを誰か知る
燃ゆるがごとき紅の
雲のゆくへを誰か知る

闇もこれより隣なる
声ふりあげて鳴くときは
ひとの長眠のみなめざめ
夜は日に通ふ夢まくら

明けはなれたり夜はすでに
いざ妻鳥と巣を出でて
餌をあさらんと野に行けば
あなあやにくのものを見き

見しらぬ鶏の音も高に
あしたの空に鳴き渡り
草かき分けて来るはなぞ
妻恋ふらしや妻鳥を

ねたしや露に羽ぬれて
朝日にうつる影見れば
雄鶏に惜しき白妙の
雲をあざむくばかりなり

力あるらし声たけき
敵のさまを惧れてか
声色あるさまに羞じてかや
妻鳥は花に隠れけり

かくと見るより堪へかねて
背をや高めし夫鳥は
羽がきも荒く飛び走り
蹴爪に土をかき狂ふ

筆毛のさきも逆立ちて
血潮にまじる眼のひかり
二つの鶏のすがたこそ
是おそろしき風情なれ

妻鳥は花を馳け出でて
争闘分くるひまもなみ
たがひに蹴合ふ蹴爪には
火焔もちるとうたがはる

蹴るや左眼の的それて
羽に血しほの夫鳥は
敵の右眼をめざしつゝ
爪も折れよと蹴返しぬ

蹴られて落つるくれないの
血潮の花も地に染みて
二つの鶏の目もくるひ
たがひにひるむ風情なし

そこに声あり涙あり
争ひ狂ふ四つの羽
血潮に滑りし夫鳥の
あな仆れけん声高し

一声長く悲鳴して
あとに仆るゝ夫鳥の
羽に血潮の朱に染み
あたりにさける花紅し

あゝあゝ熱き涙かな
あるに甲斐なき妻鳥は
せめて一声鳴けかしと
屍に嘆くさまあはれ

なにとは知らぬかなしみの
いつか恐怖と変りきて
思ひ乱れて音をのみぞ
鳴くや妻鳥の心なく

我を恋ふらし音にたてて
姿も色もなつかしき
花のかたちと思ひきや
かなしき敵とならんとは

花にもつるゝ蝶あるを
鳥に縁のなからめや
おそろしきかな其の心
なつかしきかな其の情

紅に染みたる草見れば
鳥の命のもろきかな
火よりも燃ゆる恋見れば
敵のこゝろのうれしやな

見よ動きゆく大空の
照る日も雲に薄らぎて
花に色なく風吹けば
野はさびしくも変りけり

かなしこひしの夫鳥の
冷えまさりゆく其姿
たよりと思ふ一ふしの
いづれ妻鳥の身の末ぞ

恐怖を抱く母と子が
よりそふごとくかの敵に
なにとはなしに身をよする
妻鳥のこゝろあはれなれ

あないたましのながめかな
さきの楽しき花ちりて
空色暗く一彩毛の
雲にかなしき野のけしき

生きてかへらぬ鳥はいざ
夫か妻鳥か燕子花
いづれあやめを踏み分けて
野末を帰る二羽の鶏