[hs-a43] 閑雅な食慾 – 厭やらしい景物

雨のふる間
眺めは白ぼけて
建物 建物 びたびたにぬれ
さみしい荒廃した田舎をみる
そこに感情をくさらして
かれらは馬のやうにくらしていた。

私は家の壁をめぐり
家の壁に生える苔をみた
かれらの食物は非常にわるく
精神さへも梅雨じみて居る。

雨のながくふる間
私は退屈な田舎に居て
退屈な自然に漂泊している
薄ちやけた幽霊のやうな影をみた。

私は貧乏を見たのです
このびたびたする雨気の中に
ずつくり濡れたる 孤独の 非常に厭やらしいものを見たのです。

[hs-a45] 閑雅な食慾 – 悪い季節

薄暮の疲労した季節がきた
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ
雨は往来にびしよびしよして
貧乏な長屋が並びている。
こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蝿はぶむぶむと窓に飛んでる。

こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪間者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です。
ああ彼女こそ僕の昔の恋人
古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。

こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない
詩人はありきたりの思想をうたひ
民衆のふるい伝統は畳の上になやんでいる
ああこの厭やな天気
日ざしの鈍い季節。

ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。

[st-w24] 三 生のあけぼの – 一 たれかおもはむ

たれかおもはむ鴬の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間と
あゝよしさらば美酒に
うたひあかさん春の夜を

梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれないのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を

わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさん春の夜を

[st-w49] 四 深林の逍遥、其他 – 昼の夢

花橘の袖の香の
みめうるはしきをとめごは
真昼に夢を見てしより
さめて忘るゝ夜のならひ
白日の夢のなぞもかく
忘れがたくはありけるものか

ゆめと知りせばなまなかに
さめざらましを世に出でて
うらわかぐさのうらわかみ
何をか夢の名残ぞと
問はゞ答へん目さめては
熱き涙のかわく間もなし

[st-w07] 一 秋の思 – 傘のうち

二人してさす一張の
傘に姿をつゝむとも
情の雨のふりしきり
かわく間もなきたもとかな

顔と顔とをうちよせて
あゆむとすればなつかしや
梅花の油黒髪の
乱れて匂ふ傘のうち

恋の一雨ぬれまさり
ぬれてこひしき夢の間や
染めてぞ燃ゆる紅絹うらの
雨になやめる足まとひ

歌ふをきけば梅川よ
しばし情を捨てよかし
いづこも恋に戯れて
それ忠兵衛の夢がたり

こひしき雨よふらばふれ
秋の入日の照りそひて
傘の涙を乾さぬ間に
手に手をとりて行きて帰らじ