[st-w51] 四 深林の逍遥、其他 – 懐古

天の河原にやほよろづ
ちよろづ神のかんつどひ
つどひいませしあめつちの
始のときを誰か知る

それ大神の天雲の
八重かきわけて行くごとく
野の鳥ぞ啼く東路の
碓氷の山にのぼりゆき

日は照らせども影ぞなき
吾妻はやとこひなきて
熱き涙をそゝぎてし
尊の夢は跡も無し

大和の国の高市の
雷山に御幸して
天雲のへにいほりせる
御輦のひゞき今いづこ

目をめぐらせばさゞ波や
志賀の都は荒れにしと
むかしを思ふ歌人の
澄める怨をなにかせん

春は霞める高台に
のぼりて見ればけぶり立つ
民のかまどのながめさへ
消えてあとなき雲に入る

冬はしぐるゝ九重の
大宮内のともしびや
さむさは雪に凍る夜の
竜のころもはいろもなし

むかしは遠き船いくさ
人の血潮の流るとも
今はむなしきわだつみの
まん/\としてきはみなし

むかしはひろき関が原
つるぎに夢を争へど
今は寂しき草のみぞ
ばう/\としてはてもなき

われ今秋の野にいでて
奥山高くのぼり行き
都のかたを眺むれば
あゝあゝ熱きなみだかな

[st-w21] 二 六人の処女 – おつた

花仄見ゆる春の夜の
すがたに似たる吾命
朧々に父母は
二つの影と消えうせて
世に孤児の吾身こそ
影より出でし影なれや
たすけもあらぬ今は身は
若き聖に救はれて
人なつかしき前髪の
処女とこそはなりにけれ

若き聖ののたまはく
時をし待たむ君ならば
かの柿の実をとるなかれ
かくいひたまふうれしさに
ことしの秋もはや深し
まづその秋を見よやとて
聖に柿をすゝむれば
その口唇にふれたまひ
かくも色よき柿ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
人の命の惜しからば
嗚呼かの酒を飲むなかれ
かくいひたまふうれしさに
酒なぐさめの一つなり
まづその春を見よやとて
聖に酒をすゝむれば
夢の心地に酔ひたまひ
かくも楽しき酒ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
道行き急ぐ君ならば
迷ひの歌をきくなかれ
かくいひたまふうれしさに
歌も心の姿なり
まづその声をきけやとて
一ふしうたひいでければ
聖は魂も酔ひたまひ
かくも楽しき歌ならば
などかは早くわれに告げこぬ

若き聖ののたまはく
まことをさぐる吾身なり
道の迷となるなかれ
かくいひたまふうれしさに
情も道の一つなり
かゝる思を見よやとて
わがこの胸に指ざせば
聖は早く恋ひわたり
かくも楽しき恋ならば
などかは早くわれに告げこぬ

それ秋の日の夕まぐれ
そゞろあるきのこゝろなく
ふと目に入るを手にとれば
雪より白き小石なり
若き聖ののたまはく
智恵の石とやこれぞこの
あまりに惜しき色なれば
人に隠して今も放たじ