[hs-a21] さびしい青猫 – 題のない歌

南洋の日にやけた裸か女のやうに
夏草の茂つている波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた
ふはふはとした雲が白くたちのぼつて
船員のすふ煙草のけむりがさびしがつてる。
わたしは鶉のやうに羽ばたきながら
さうして丈の高い野茨の上を飛びまはつた
ああ 雲よ 船よ どこに彼女は航海の碇をすてたか
ふしぎな情熱になやみながら
わたしは沈黙の墓地をたづねあるいた
それはこの草叢の風に吹かれている
しづかに 錆びついた 恋愛鳥の木乃伊であつた。

[st-w39] 四 深林の逍遥、其他 – 四

ゆびをりくればいつたびも
かはれる雲をながむるに
白きは黄なりなにをかも
もつ筆にせむ色彩の
いつしか淡く茶を帯びて
雲くれないとかはりけり
あゝゆふまぐれわれひとり
たどる林もひらけきて
いと静かなる湖の
岸辺にさける花躑躅
うき雲ゆけばかげ見えて
水に沈める春の日や
それ紅の色染めて
雲紫となりぬれば
かげさへあかき水鳥の
春のみづうみ岸の草
深き林や花つゝじ
迷ふひとりのわがみだに
深紫の紅の
彩にうつろふ夕まぐれ

[st-w25] 三 生のあけぼの – 二 あけぼの

紅細くたなびけたる
雲とならばやあけぼのの
雲とならばや

やみを出でては光ある
空とならばやあけぼのの
空とならばや

春の光を彩れる
水とならばやあけぼのの
水とならばや

鳩に履まれてやはらかき
草とならばやあけぼのの
草とならばや

[st-w17] 二 六人の処女 – おえふ

処女ぞ経ぬるおほかたの
われは夢路を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河をながむれば

水静かなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の桜の花影に
われは処女となりにけり

都鳥浮く大川に
流れてそゝぐ川添の
白菫さく若草に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重の
大宮内につかへして
清涼殿の春の夜の
月の光に照らされつ

雲を彫め涛を刻り
霞をうかべ日をまねく
玉の台の欄干に
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀くさまを目にも見て
ときめきたまふさま/″\の
ひとりのころもの香をかげり

きらめき初むる暁星の
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

天つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名の夕暮に消えて行く
秀でし人の末路も見き

春しづかなる御園生の
花に隠れて人を哭き
秋のひかりの窓に倚り
夕雲とほき友を恋ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の門を出で
けふ江戸川に来て見れば
秋はさみしきながめかな

桜の霜葉黄に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水静かにて
あゆみは遅きわがおもひ

おのれも知らず世を経れば
若き命に堪へかねて
岸のほとりの草を藉き
微笑みて泣く吾身かな

[st-w38] 四 深林の逍遥、其他 – 三

今しもわたる深山かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫の音をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛にいざなはれ
千々にめぐれる巌影の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巌に
砕けて落つる飛潭の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯照りそふ水けぶり
独り苔むす岩を攀じ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん

山精

なにをいざよふ
むらさきの
ふかきはやしの
はるがすみ

なにかこひしき
いはかげを
ながれていづる
いづみがは

木精

かくれてうたふ
野の山の
こえなきこえを
きくやきみ

つゝむにあまる
はなかげの
水のしらべを
しるやきみ

山精

あゝながれつゝ
こがれつゝ
うつりゆきつゝ
うごきつゝ

あゝめぐりつゝ
かへりつゝ
うちわらひつゝ
むせびつゝ

木精

いまひのひかり
はるがすみ
いまはなぐもり
はるのあめ

あゝあゝはなの
つゆに酔ひ
ふかきはやしに
うたへかし

[st-w48] 四 深林の逍遥、其他 – 君と遊ばん

君と遊ばん夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
昼の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
楽みのかず夜は尽きじ

夢かうつゝか天の川
星に仮寝の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭の遠音を聞かめやも

[st-w51] 四 深林の逍遥、其他 – 懐古

天の河原にやほよろづ
ちよろづ神のかんつどひ
つどひいませしあめつちの
始のときを誰か知る

それ大神の天雲の
八重かきわけて行くごとく
野の鳥ぞ啼く東路の
碓氷の山にのぼりゆき

日は照らせども影ぞなき
吾妻はやとこひなきて
熱き涙をそゝぎてし
尊の夢は跡も無し

大和の国の高市の
雷山に御幸して
天雲のへにいほりせる
御輦のひゞき今いづこ

目をめぐらせばさゞ波や
志賀の都は荒れにしと
むかしを思ふ歌人の
澄める怨をなにかせん

春は霞める高台に
のぼりて見ればけぶり立つ
民のかまどのながめさへ
消えてあとなき雲に入る

冬はしぐるゝ九重の
大宮内のともしびや
さむさは雪に凍る夜の
竜のころもはいろもなし

むかしは遠き船いくさ
人の血潮の流るとも
今はむなしきわだつみの
まん/\としてきはみなし

むかしはひろき関が原
つるぎに夢を争へど
今は寂しき草のみぞ
ばう/\としてはてもなき

われ今秋の野にいでて
奥山高くのぼり行き
都のかたを眺むれば
あゝあゝ熱きなみだかな

[st-w55] 四 深林の逍遥、其他 – 天馬 雄馬

あな天雲にともなはれ
緑の髪をうちふるひ
雄馬は人に随ひて
箱根の嶺を下りけり
胸は踊りて八百潮の
かの蒼溟に湧くごとく
喉はよせくる春涛を
飲めども渇く風情あり
目はひさかたの朝の星
睫毛は草の浅緑
うるほひ光る眼瞳には
千里の外もほがらにて
東に照らし西に入る
天つみそらを渡る日の
朝日夕日の行衛さへ
雲の絶間に極むらん
二つの耳をたとふれば
いと幽なる朝風に
そよげる草の葉のごとく
蹄の音をたとふれば
紫金の色のやきがねを
高くも叩く響あり
狂へば長き鬣の
うちふりうちふる乱れ髪
燃えてはめぐる血の潮の
流れて踊る春の海
噴く紅の光には
火炎の気息もあらだちて
深くも遠き嘶声は
大神の住む梁の
塵を動かす力あり
あゝ朝鳥の音をきゝて
富士の高根の雪に鳴き
夕つげわたる鳥の音に
木曽の御岳の巌を越え
かの青雲に嘶きて
天より天の電影の
光の末に隠るべき
雄馬の身にてありながら
なさけもあつくなつかしき
主人のあとをとめくれば
箱根も遠し三井寺や
日も暖に花深く
さゝなみ青き湖の
岸の此彼草を行く
天の雄馬のすがたをば
誰かは思ひ誰か知る
しらずや人の天雲に
歩むためしはあるものを
天馬の下りて大土に
歩むためしのなからめや
見よ藤の葉の影深く
岸の若草香にいでて
春花に酔ふ蝶の夢
そのかげを履む雄馬には
一つの紅き春花に
見えざる神の宿あり
一つうつろふ野の色に
つきせぬ天のうれひあり
嗚呼鷲鷹の飛ぶ道に
高く懸れる大空の
無限の絃に触れて鳴り
男神女神に戯れて
照る日の影の雲に鳴き
空に流るゝ満潮を
飲みつくすとも渇くべき
天馬よ汝が身を持ちて
鳥のきて啼く鳰の海
花橘の蔭を履む
その姿こそ雄々しけれ