かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街中いちめんにひろがり、
あつちの市区でも、こつちの市区でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臓がしやべるを光らしている。
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[hs-a48] 閑雅な食慾 – 白い牡鶏
わたしは田舎の鶏です
まづしい農家の庭に羽ばたきし
垣根をこえて
わたしは乾からびた小虫をついばむ。
ああ この冬の日の陽ざしのかげに
さびしく乾地の草をついばむ
わたしは白つぽい病気の牡鶏
あはれな かなしい 羽ばたきをする生物です。
私はかなしい田舎の鶏
家根をこえ
垣根をこえ
墓場をこえて
はるかの野末にふるへさけぶ
ああ私はこはれた日時計 田舎の白つぽい牡鶏です。
[st-w10] 一 秋の思 – 秋風の歌
さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく
しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲の
飛びて行くへも見ゆるかな
暮影高く秋は黄の
桐の梢の琴の音に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり
ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隠る
ふりさけ見れば青山も
色はもみじに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡にあらはれぬ
清しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみじ葉にきたるとき
道を伝ふる婆羅門の
西に東に散るごとく
吹き漂蕩す秋風に
飄り行く木の葉かな
朝羽うちふる鷲鷹の
明闇天をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり
見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉を落すとき
人は利剣を振へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世をのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり
高くも烈し野も山も
息吹まどはす秋風よ
世をかれ/″\となすまでは
吹きも休むべきけはひなし
あゝうらさびし天地の
壷の中なる秋の日や
落葉と共に飄る
風の行衛を誰か知る
[hs-a53] 艶めける霊魂 – 夢
あかるい屏風のかげにすわつて
あなたのしづかな寝息をきく。
香炉のかなしいけむりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緒
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。
薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。
ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ いづこへ 行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に饐えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神秘なにほひをたたふ。
(とりとめもない夢の気分とその抒情)
[st-w24] 三 生のあけぼの – 一 たれかおもはむ
たれかおもはむ鴬の
涙もこほる冬の日に
若き命は春の夜の
花にうつろふ夢の間と
あゝよしさらば美酒に
うたひあかさん春の夜を
梅のにほひにめぐりあふ
春を思へばひとしれず
からくれないのかほばせに
流れてあつきなみだかな
あゝよしさらば花影に
うたひあかさん春の夜を
わがみひとつもわすられて
おもひわづらふこゝろだに
春のすがたをとめくれば
たもとににほふ梅の花
あゝよしさらば琴の音に
うたひあかさん春の夜を
[hs-t22] 悲しい月夜 – 悲しい月夜
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えている。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱している、
合唱している。
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
[hs-t10] 竹とその哀傷 – 卵
いと高き梢にありて、
ちいさなる卵ら光り、
あふげば小鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。
[hs-a14] 憂欝なる桜 – 夢にみる空家の庭の秘密
その空家の庭に生えこむものは松の木の類
びはの木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる
それら青いものの生命
それら青いもののさかんな生活
その空家の庭はいつも植物の日影になつて薄暗い
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ
夜も昼もさよさよと悲しくひくくながれる水の音
またじめじめとした垣根のあたり
なめくじ へび かへる とかげ類のぬたぬたとした気味わるいすがたをみる。
さうしてこの幽邃な世界のうへに
夜は青じろい月の光がてらしている
月の光は前栽の植込からしつとりとながれこむ。
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ
ああ このいろいろのもののかくされた秘密の生活
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界
月光の中にうかびいづる羊歯 わらび 松の木の枝
なめくじ へび とかげ類の無気味な生活
ああ わたしの夢によくみる このひと住まぬ空家の庭の秘密と
いつもその謎のとけやらぬおもむき深き幽邃のなつかしさよ。
[hs-t43] さびしい情慾 – 五月の貴公子
若草の上をあるいているとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいているとき、
わたしは五月の貴公子である。
[st-w42] 四 深林の逍遥、其他 – 合唱 二 蓮花舟
しは/\もこほるゝつゆははちすはの
うきはにのみもたまりけるかな
姉
あゝはすのはな
はすのはな
かげはみえけり
いけみづに
ひとつのふねに
さをさして
うきはをわけて
こぎいでん
妹
かぜもすゞしや
はがくれに
そこにもしろし
はすのはな
こゝにもあかき
はすばなの
みづしづかなる
いけのおも
姉
はすをやさしみ
はなをとり
そでなひたしそ
いけみづに
ひとめもはじよ
はなかげに
なれが乳房の
あらはるゝ
妹
ふかくもすめる
いけみづの
葉にすれてゆく
みなれざを
なつぐもゆけば
かげみえて
はなよりはなを
わたるらし
姉
荷葉にうたひ
ふねにのり
はなつみのする
なつのゆめ
はすのはなふね
さをとめて
なにをながむる
そのすがた
妹
なみしづかなる
はなかげに
きみのかたちの
うつるかな
きみのかたちと
なつばなと
いづれうるはし
いづれやさしき