まつ正直の心をもつて、
わたくしどもは話がしたい、
信仰からきたるものは、
すべて幽霊のかたちで視える、
かつてわたくしが視たところのものを、
はつきりと汝にもきかせたい、
およそこの類のものは、
さかんに装束せる、
光れる、
おほいなるかくしどころをもつた神の半身であつた。
[hs-t35] くさつた蛤 – 貝
つめたきもの生れ、
その歯はみづにながれ、
その手はみづにながれ、
潮さし行方もしらにながるるものを、
浅瀬をふみてわが呼ばへば、
貝は遠音にこたふ。
[hs-t34] くさつた蛤 – 猫
まつくろけの猫が二疋、
なやましいよるの家根のうへで、
ぴんとたてた尻尾のさきから、
糸のやうなみかづきがかすんでいる。
『おわあ、こんばんは』
『おわあ、こんばんは』
『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』
『おわああ、ここの家の主人は病気です』
[hs-t33] くさつた蛤 – ありあけ
ながい疾患のいたみから、
その顔はくもの巣だらけとなり、
腰からしたは影のやうに消えてしまひ、
腰からうへには薮が生え、
手が腐れ
身体いちめんがじつにめちやくちやなり、
ああ、けふも月が出で、
有明の月が空に出で、
そのぼんぼりのやうなうすらあかりで、
畸形の白犬が吠えている。
しののめちかく、
さみしい道路の方で吠える犬だよ。
[hs-t32] くさつた蛤 – およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
[hs-t31] くさつた蛤 – ばくてりやの世界
ばくてりやの足、
ばくてりやの口、
ばくてりやの耳、
ばくてりやの鼻、
ばくてりやがおよいでいる。
あるものは人物の胎内に、
あるものは貝るいの内臓に、
あるものは玉葱の球心に、
あるものは風景の中心に。
ばくてりやがおよいでいる。
ばくてりやの手は左右十文字に生え、
手のつまさきが根のやうにわかれ、
そこからするどい爪が生え、
毛細血管の類はべたいちめんにひろがつている。
ばくてりやがおよいでいる。
ばくてりやが生活するところには、
病人の皮膚をすかすやうに、
べにいろの光線がうすくさしこんで、
その部分だけほんのりとしてみえ、
じつに、じつに、かなしみたへがたく見える。
ばくてりやがおよいでいる。
[hs-t30] くさつた蛤 – 春夜
浅蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みじんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいている。
あはれこの生あたたかい春の夜に、
そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るいの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいている、
ふらりふらりと歩いている。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。
[hs-t29] くさつた蛤 – 椅子
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家をつくれるひとの子供らか。
[hs-t28] くさつた蛤 – なやましき春夜の感覚とその疾患
内部に居る人が畸形な病人に見える理由
わたしは窓かけのれいすのかげに立つて居ります、
それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、
それでわたくしは、ずつと遠いところを見て居ります、
につける製の犬だの羊だの、
あたまのはげた子供たちの歩いている林をみて居ります、
それらがわたくしの瞳を、いくらかかすんでみせる理由です。
わたくしはけさきやべつの皿を喰べすぎました、
そのうへこの窓硝子は非常に粗製です、
それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。
じつさいのところを言へば、
わたくしは健康すぎるぐらいなものです、
それだのに、なんだつて君は、そこで私をみつめている。
なんだつてそんなに薄気味わるく笑つている。
おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、
そのへんがはつきりしないといふのならば、
いくらか馬鹿げた疑問であるが、
もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、
家の内部に立つているわけです。
[hs-t27] 悲しい月夜 – 蛙の死
蛙が殺された、
子供がまるくなつて手をあげた、
みんないつしよに、
かわゆらしい、
血だらけの手をあげた、
月が出た、
丘の上に人が立つている。
帽子の下に顔がある。
幼年思慕篇