[st-w37] 四 深林の逍遥、其他 – 二

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふじばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峡より
やゝひらけたる深山木の
春は小枝のたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青き巌に流れ落ち
若き猿のためにだに
音をとゞむる時ぞなき

山精

ゆふぐれかよふ
たびびとの
むねのおもひを
たれかしる

友にもあらぬ
やまかはの
はるのこゝろを
たれかしる

木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しづくなれ

山精

鹿はたふるゝ
たびごとに
妻こふこひに
かへるなり

のやまは枯るゝ
たびごとに
ちとせのはるに
かへるなり

木精

ふるきおちばを
やはらかき
青葉のかげに
葬れよ

ふゆのゆめじを
さめいでて
はるのはやしに
きたれかし

[st-w36] 四 深林の逍遥、其他 – 一

力を刻む木匠の
うちふる斧のあとを絶え
春の草花彫刻の
鑿の韻もとゞめじな
いろさま/″\の春の葉に
青一筆の痕もなく
千枝にわかるゝ赤樟も
おのづからなるすがたのみ
桧は荒し杉直し
五葉は黒し椎の木の
枝をまじゆる白樫や
樗は茎をよこたへて
枝と枝とにもゆる火の
なかにやさしき若楓

山精

ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる

ひとにしられぬ
はるのひの
かすみのおくを
たれかしる

木精

はなのむらさき
はのみどり
うらわかぐさの
のべのいと

たくみをつくす
大機の
梭のはやしに
きたれかし

山精

かのもえいづる
くさをふみ
かのわきいづる
みづをのみ

かのあたらしき
はなにえひ
はるのおもひの
なからずや

木精

ふるきころもを
ぬぎすてて
はるのかすみを
まとへかし

なくうぐひすの
ねにいでて
ふかきはやしに
うたへかし

[st-w10] 一 秋の思 – 秋風の歌

さびしさはいつともわかぬ山里に
尾花みだれて秋かぜぞふく
しづかにきたる秋風の
西の海より吹き起り
舞ひたちさわぐ白雲の
飛びて行くへも見ゆるかな

暮影高く秋は黄の
桐の梢の琴の音に
そのおとなひを聞くときは
風のきたると知られけり

ゆふべ西風吹き落ちて
あさ秋の葉の窓に入り
あさ秋風の吹きよせて
ゆふべの鶉巣に隠る

ふりさけ見れば青山も
色はもみじに染めかへて
霜葉をかへす秋風の
空の明鏡にあらはれぬ

清しいかなや西風の
まづ秋の葉を吹けるとき
さびしいかなや秋風の
かのもみじ葉にきたるとき

道を伝ふる婆羅門の
西に東に散るごとく
吹き漂蕩す秋風に
飄り行く木の葉かな

朝羽うちふる鷲鷹の
明闇天をゆくごとく
いたくも吹ける秋風の
羽に声あり力あり

見ればかしこし西風の
山の木の葉をはらふとき
悲しいかなや秋風の
秋の百葉を落すとき

人は利剣を振へども
げにかぞふればかぎりあり
舌は時世をのゝしるも
声はたちまち滅ぶめり

高くも烈し野も山も
息吹まどはす秋風よ
世をかれ/″\となすまでは
吹きも休むべきけはひなし

あゝうらさびし天地の
壷の中なる秋の日や
落葉と共に飄る
風の行衛を誰か知る

[st-w38] 四 深林の逍遥、其他 – 三

今しもわたる深山かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫の音をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛にいざなはれ
千々にめぐれる巌影の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巌に
砕けて落つる飛潭の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯照りそふ水けぶり
独り苔むす岩を攀じ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん

山精

なにをいざよふ
むらさきの
ふかきはやしの
はるがすみ

なにかこひしき
いはかげを
ながれていづる
いづみがは

木精

かくれてうたふ
野の山の
こえなきこえを
きくやきみ

つゝむにあまる
はなかげの
水のしらべを
しるやきみ

山精

あゝながれつゝ
こがれつゝ
うつりゆきつゝ
うごきつゝ

あゝめぐりつゝ
かへりつゝ
うちわらひつゝ
むせびつゝ

木精

いまひのひかり
はるがすみ
いまはなぐもり
はるのあめ

あゝあゝはなの
つゆに酔ひ
ふかきはやしに
うたへかし