[hs-a50] 艶めける霊魂 – 艶めける霊魂

そよげる
やはらかい草の影から
花やかに いきいきと目をさましてくる情慾
燃えあがるやうに
たのしく
うれしく
こころ春めく春の感情。

つかれた生涯のあじない昼にも
孤独の暗い部屋の中にも
しぜんとやはらかく そよげる窓の光はきたる
いきほひたかぶる機能の昂進
そは世に艶めけるおもひのかぎりだ
勇気にあふれる希望のすべてだ。

ああこのわかやげる思ひこそは
春日にとける雪のやうだ
やさしく芽ぐみ
しぜんに感ずるぬくみのやうだ
たのしく
うれしく
こころときめく性の躍動。

とざせる思想の底を割つて
しづかにながれるいのちをかんずる
あまりに憂欝のなやみふかい沼の底から
わづかに水のぬくめるやうに
さしぐみ
はじらひ
ためらひきたれる春をかんずる。

[hs-t26] 悲しい月夜 – 干からびた犯罪

どこから犯人は逃走した?
ああ、いく年もいく年もまへから、
ここに倒れた椅子がある、
ここに兇器がある、
ここに屍体がある、
ここに血がある、
さうして青ざめた五月の高窓にも、
おもひにしづんだ探偵のくらい顔と、
さびしい女の髪の毛とがふるへて居る。

[hs-t45] さびしい情慾 – 肖像

あいつはいつも歪んだ顔をして、
窓のそばに突つ立つている、
白いさくらが咲く頃になると、
あいつはまた地面の底から、
むぐらもちのやうに這ひ出してくる、
じつと足音をぬすみながら、
あいつが窓にしのびこんだところで、
おれは早取写真にうつした。
ぼんやりした光線のかげで、
白つぽけた乾板をすかして見たら、
なにかの影のやうに薄く写つていた。
おれのくびから上だけが、
おいらん草のやうにふるへていた。

[hs-a48] 閑雅な食慾 – 白い牡鶏

わたしは田舎の鶏です
まづしい農家の庭に羽ばたきし
垣根をこえて
わたしは乾からびた小虫をついばむ。
ああ この冬の日の陽ざしのかげに
さびしく乾地の草をついばむ
わたしは白つぽい病気の牡鶏
あはれな かなしい 羽ばたきをする生物です。

私はかなしい田舎の鶏
家根をこえ
垣根をこえ
墓場をこえて
はるかの野末にふるへさけぶ
ああ私はこはれた日時計 田舎の白つぽい牡鶏です。

[st-w56] 四 深林の逍遥、其他 – 天馬 牝馬

青波深きみづうみの
岸のほとりに生れてし
天の牝馬は東なる
かの陸奥の野に住めり
霞に霑ひ風に擦れ
音もわびしき枯くさの
すゝき尾花にまねかれて
荒野に嘆く牝馬かな
誰か燕の声を聞き
たのしきうたを耳にして
日も暖かに花深き
西も空をば慕はざる
誰か秋鳴くかりがねの
かなしき歌に耳たてて
ふるさとさむき遠天の
雲の行衛を慕はざる
白き羚羊に見まほしく
透きては深く柔軟き
眼の色のうるほひは
吾が古里を忍べばか
蹄も薄く肩痩せて
四つの脚さへ細りゆき
その鬣の艶なきは
荒野の空に嘆けばか
春は名取の若草や
病める力に石を引き
夏は国分の嶺を越え
牝馬にあまる塩を負ふ
秋は広瀬の川添の
紅葉の蔭にむちうたれ
冬は野末に日も暮れて
みぞれの道の泥に饑ゆ
鶴よみそらの雲に飽き
朝の霞の香に酔ひて
春の光の空を飛ぶ
羽翼の色の嫉きかな
獅子よさみしき野に隠れ
道なき森に驚きて
あけぼの露にふみ迷ふ
鋭き爪のこひしやな
鹿よ秋山妻恋に
黄葉のかげを踏みわけて
谷間の水に喘ぎよる
眼睛の色のやさしやな
人をつめたくあじきなく
思ひとりしは幾歳か
命を薄くあさましく
思ひ初めしは身を責むる
強き軛に嘆き侘び
花に涙をそゝぐより
悲しいかなや春の野に
湧ける泉を飲み干すも
天の牝馬のかぎりなき
渇ける口をなにかせむ
悲しいかなや行く水の
岸の柳の樹の蔭の
かの新草の多くとも
饑えたる喉をいかにせむ
身は塵埃の八重葎
しげれる宿にうまるれど
かなしや地の青草は
その慰藉にあらじかし
あゝ天雲や天雲や
塵の是世にこれやこの
轡も折れよ世も捨てよ
狂ひもいでよ軛さへ
噛み砕けとぞ祈るなる
牝馬のこゝろ哀なり
尽きせぬ草のありといふ
天つみそらの慕はしや
渇かぬ水の湧くといふ
天の泉のなつかしや
せまき厩を捨てはてて
空を行くべき馬の身の
心ばかりははやれども
病みては零つる涙のみ
草に生れて草に泣く
姿やさしき天の馬
うき世のものにことならで
消ゆる命のもろきかな
散りてはかなき柳葉の
そのすがたにも似たりけり
波に消え行く淡雪の
そのすがたにも似たりけり
げに世の常の馬ならば
かくばかりなる悲嘆に
身の苦悶を恨み侘び
声ふりあげて嘶かん
乱れて長き鬣の
この世かの世の別れにも
心ばかりは静和なる
深く悲しき声きけば
あゝ幽遠なる気息に
天のうれひを紫の
野末の花に吹き残す
世の名残こそはかなけれ

[hs-a01] 幻の寝台 – 薄暮の部屋

つかれた心臓は夜をよく眠る
私はよく眠る
ふらんねるをきたさびしい心臓の所有者だ
なにものか そこをしづかに動いている夢の中なるちのみ児
寒さにかじかまる蝿のなきごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

私はかなしむ この白つぽけた室内の光線を
私はさびしむ この力のない生命の韻動を。

恋びとよ
お前はそこに坐つている 私の寝台のまくらべに
恋びとよ お前はそこに坐つている。
お前のほつそりした頚すじ
お前のながくのばした髪の毛
ねえ やさしい恋びとよ
私のみじめな運命をさすつておくれ
私はかなしむ
私は眺める
そこに苦しげなるひとつの感情
病みてひろがる風景の憂欝を
ああ さめざめたる部屋の隅から つかれて床をさまよふ蝿の幽霊
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

恋びとよ
私の部屋のまくらべに坐るをとめよ
お前はそこになにを見るのか
わたしについてなにを見るのか
この私のやつれたからだ 思想の過去に残した影を見ているのか
恋びとよ
すえた菊のにほひを嗅ぐやうに
私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を
よし二人からだをひとつにし
このあたたかみあるものの上にしも お前の白い手をあてて 手をあてて。

恋びとよ
この閑寂な室内の光線はうす紅く
そこにもまた力のない蝿のうたごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
恋びとよ
わたしのいじらしい心臓は お前の手や胸にかじかまる子供のやうだ
恋びとよ
恋びとよ。

[st-w33] 三 生のあけぼの – 二つの声

たれか聞くらん朝の声
眠と夢を破りいで
彩なす雲にうちのりて
よろづの鳥に歌はれつ
天のかなたにあらはれて
東の空に光あり
そこに時あり始あり
そこに道あり力あり
そこに色あり詞あり
そこに声あり命あり
そこに名ありとうたひつゝ
みそらにあがり地にかけり
のこんの星ともろともに
光のうちに朝ぞ隠るゝ

[st-w37] 四 深林の逍遥、其他 – 二

あゆめば蘭の花を踏み
ゆけば楊梅袖に散り
袂にまとふ山葛の
葛のうら葉をかへしては
女蘿の蔭のやまいちご
色よき実こそ落ちにけれ
岡やまつゞき隈々も
いとなだらかに行き延びて
ふかきはやしの谷あひに
乱れてにほふふじばかま
谷に花さき谷にちり
人にしられず朽つるめり
せまりて暗き峡より
やゝひらけたる深山木の
春は小枝のたゝずまひ
しげりて広き熊笹の
葉末をふかくかきわけて
谷のかなたにきて見れば
いづくに行くか滝川よ
声もさびしや白糸の
青き巌に流れ落ち
若き猿のためにだに
音をとゞむる時ぞなき

山精

ゆふぐれかよふ
たびびとの
むねのおもひを
たれかしる

友にもあらぬ
やまかはの
はるのこゝろを
たれかしる

木精

夜をなきあかす
かなしみの
まくらにつたふ
なみだこそ

ふかきはやしの
たにかげの
そこにながるゝ
しづくなれ

山精

鹿はたふるゝ
たびごとに
妻こふこひに
かへるなり

のやまは枯るゝ
たびごとに
ちとせのはるに
かへるなり

木精

ふるきおちばを
やはらかき
青葉のかげに
葬れよ

ふゆのゆめじを
さめいでて
はるのはやしに
きたれかし

[hs-t37] くさつた蛤 – 陽春

ああ、春は遠くからけぶつて来る、
ぽつくりふくらんだ柳の芽のしたに、
やさしいくちびるをさしよせ、
をとめのくちづけを吸ひこみたさに、
春は遠くからごむ輪のくるまにのつて来る。
ぼんやりした景色のなかで、
白いくるまやさんの足はいそげども、
ゆくゆく車輪がさかさにまわり、
しだいに梶棒が地面をはなれ出し、
おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、
これではとてもあぶなさうなと、
とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。

[st-w14] 一 秋の思 – 強敵

一つの花に蝶と蜘蛛
小蜘蛛は花を守り顔
小蝶は花に酔ひ顔に
舞へども/\すべぞなき

花は小蜘蛛のためならば
小蝶の舞をいかにせむ
花は小蝶のためならば
小蜘蛛の糸をいかにせむ

やがて一つの花散りて
小蜘蛛はそこに眠れども
羽翼も軽き小蝶こそ
いづこともなくうせにけれ