[st-w18] 二 六人の処女 – おきぬ

みそらをかける猛鷲の
人の処女の身に落ちて
花の姿に宿かれば
風雨に渇き雲に饑え
天翅るべき術をのみ
願ふ心のなかれとて
黒髪長き吾身こそ
うまれながらの盲目なれ

芙蓉を前の身とすれば
涙は秋の花の露
小琴を前の身とすれば
愁は細き糸の音
いま前の世は鷲の身の
処女にあまる羽翼かな

あゝあるときは吾心
あらゆるものをなげうちて
世はあじきなき浅茅生の
茂れる宿と思ひなし
身は術もなき蟋蟀の
夜の野草にはひめぐり
たゞいたづらに音をたてて
うたをうたふと思ふかな

色にわが身をあたふれば
処女のこゝろ鳥となり
恋に心をあたふれば
鳥の姿は処女にて
処女ながらも空の鳥
猛鷲ながら人の身の
天と地とに迷ひいる
身の定めこそ悲しけれ

[hs-a35] 閑雅な食慾 – 閑雅な食慾

松林の中を歩いて
あかるい気分の珈琲店をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店である。
をとめは恋恋の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である。

[st-w48] 四 深林の逍遥、其他 – 君と遊ばん

君と遊ばん夏の夜の
青葉の影の下すゞみ
短かき夢は結ばずも
せめてこよひは歌へかし

雲となりまた雨となる
昼の愁ひはたえずとも
星の光をかぞへ見よ
楽みのかず夜は尽きじ

夢かうつゝか天の川
星に仮寝の織姫の
ひゞきもすみてこひわたる
梭の遠音を聞かめやも

[hs-a50] 艶めける霊魂 – 艶めける霊魂

そよげる
やはらかい草の影から
花やかに いきいきと目をさましてくる情慾
燃えあがるやうに
たのしく
うれしく
こころ春めく春の感情。

つかれた生涯のあじない昼にも
孤独の暗い部屋の中にも
しぜんとやはらかく そよげる窓の光はきたる
いきほひたかぶる機能の昂進
そは世に艶めけるおもひのかぎりだ
勇気にあふれる希望のすべてだ。

ああこのわかやげる思ひこそは
春日にとける雪のやうだ
やさしく芽ぐみ
しぜんに感ずるぬくみのやうだ
たのしく
うれしく
こころときめく性の躍動。

とざせる思想の底を割つて
しづかにながれるいのちをかんずる
あまりに憂欝のなやみふかい沼の底から
わづかに水のぬくめるやうに
さしぐみ
はじらひ
ためらひきたれる春をかんずる。

[st-w06] 一 秋の思 – 君がこゝろは

君がこゝろは蟋蟀の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影清き花草に
惜しき涙をそゝぐらむ

それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ

あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
触れたまはぬぞ恨みなる

[st-w58] 四 深林の逍遥、其他 – 松島瑞巌寺に遊び葡萄

栗鼠の木彫を観て
舟路も遠し瑞巌寺
冬逍遥のこゝろなく
古き扉に身をよせて
飛騨の名匠の浮彫の
葡萄のかげにきて見れば
菩提の寺の冬の日に
刀悲しみ鑿愁ふ
ほられて薄き葡萄葉の
影にかくるゝ栗鼠よ
姿ばかりは隠すとも
かくすよしなし鑿の香は
うしほにひゞく磯寺の
かねにこの日の暮るゝとも

[hs-a01] 幻の寝台 – 薄暮の部屋

つかれた心臓は夜をよく眠る
私はよく眠る
ふらんねるをきたさびしい心臓の所有者だ
なにものか そこをしづかに動いている夢の中なるちのみ児
寒さにかじかまる蝿のなきごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

私はかなしむ この白つぽけた室内の光線を
私はさびしむ この力のない生命の韻動を。

恋びとよ
お前はそこに坐つている 私の寝台のまくらべに
恋びとよ お前はそこに坐つている。
お前のほつそりした頚すじ
お前のながくのばした髪の毛
ねえ やさしい恋びとよ
私のみじめな運命をさすつておくれ
私はかなしむ
私は眺める
そこに苦しげなるひとつの感情
病みてひろがる風景の憂欝を
ああ さめざめたる部屋の隅から つかれて床をさまよふ蝿の幽霊
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。

恋びとよ
私の部屋のまくらべに坐るをとめよ
お前はそこになにを見るのか
わたしについてなにを見るのか
この私のやつれたからだ 思想の過去に残した影を見ているのか
恋びとよ
すえた菊のにほひを嗅ぐやうに
私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を
よし二人からだをひとつにし
このあたたかみあるものの上にしも お前の白い手をあてて 手をあてて。

恋びとよ
この閑寂な室内の光線はうす紅く
そこにもまた力のない蝿のうたごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
恋びとよ
わたしのいじらしい心臓は お前の手や胸にかじかまる子供のやうだ
恋びとよ
恋びとよ。

[st-w42] 四 深林の逍遥、其他 – 合唱 二 蓮花舟

しは/\もこほるゝつゆははちすはの
うきはにのみもたまりけるかな

あゝはすのはな
はすのはな
かげはみえけり
いけみづに

ひとつのふねに
さをさして
うきはをわけて
こぎいでん

かぜもすゞしや
はがくれに
そこにもしろし
はすのはな

こゝにもあかき
はすばなの
みづしづかなる
いけのおも

はすをやさしみ
はなをとり
そでなひたしそ
いけみづに

ひとめもはじよ
はなかげに
なれが乳房の
あらはるゝ

ふかくもすめる
いけみづの
葉にすれてゆく
みなれざを

なつぐもゆけば
かげみえて
はなよりはなを
わたるらし

荷葉にうたひ
ふねにのり
はなつみのする
なつのゆめ

はすのはなふね
さをとめて
なにをながむる
そのすがた

なみしづかなる
はなかげに
きみのかたちの
うつるかな

きみのかたちと
なつばなと
いづれうるはし
いづれやさしき

[st-w27] 三 生のあけぼの – 四 眠れる春よ

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすまに
さめての春のすがたこそ
また夢のまの風情なれ

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし

ねむげの春よさめよ春
ふゆのこほりにむすぼれし
ふるきゆめじをさめいでて
やなぎのいとのみだれがみ
うめのはなぐしさしそへて
びんのみだれをかきあげよ

ねむげの春よさめよ春
あゆめばたにの早わらびの
したもえいそぐ汝があしを
かたくもあげよあゆめ春
たえなるはるのいきを吹き
こぞめの梅の香ににほへ

[hs-a52] 艶めける霊魂 – 片恋

市街を遠くはなれて行つて
僕等は山頂の草に坐つた
空に風景はふきながされ
ぎぼし ゆきしだ わらびの類
ほそくさよさよと草地に生えてる。

君よ弁当をひらき
はやくその卵を割つてください。
私の食慾は光にかつえ
あなたの白い指にまつはる
果物の皮の甘味にこがれる。

君よ なぜ早く篭をひらいて
鶏肉の 腸詰の 砂糖煮の 乾酪のご馳走をくれないのか
ぼくは飢え
ぼくの情慾は身をもだえる。

君よ
君よ
疲れて草に投げ出している
むつちりとした手足のあたり
ふらんねるをきた胸のあたり
ぼくの愛着は熱奮して 高潮して
ああこの苦しさ 圧迫にはたへられない。

高原の草に坐つて
あなたはなにを眺めているのか
あなたの思ひは風にながれ
はるかの市街は空にうかべる
ああ ぼくのみひとり焦燥して
この青青とした草原の上
かなしい願望に身をもだえる。