地獄の鬼がまはす車のやうに
冬の日はごろごろとさびしくまはつて
輪の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。
ああ こんな陰欝な季節がつづくあひだ
私は幻の駱駝にのつて
ふらふらとかなしげな旅行にでようとする。
どこにこんな荒寥の地方があるのだらう
年をとつた乞食の群は
いくたりとなく隊列のあとをすぎさつてゆき
禿鷹の屍肉にむらがるやうに
きたない小虫が焼地の穢土にむらがつている。
なんといふいたましい風物だらう
どこにもくびのながい花が咲いて
それがゆらゆらと動いているのだ
考へることもない かうして暮れ方がちかづくのだらう
恋や孤独やの一生から
はりあひのない心像も消えてしまつて ほのかに幽霊のやうに見えるばかりだ。
どこを風見の鶏が見ているのか
冬の日のごろごろとる瘠地の丘で もろこしの葉が吹かれている。
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[st-w38] 四 深林の逍遥、其他 – 三
今しもわたる深山かぜ
春はしづかに吹きかよふ
林の簫の音をきけば
風のしらべにさそはれて
みれどもあかぬ白妙の
雲の羽袖の深山木の
千枝にかゝりたちはなれ
わかれ舞ひゆくすがたかな
樹々をわたりて行く雲の
しばしと見ればあともなき
高き行衛にいざなはれ
千々にめぐれる巌影の
花にも迷ひ石に倚り
流るゝ水の音をきけば
山は危ふく石わかれ
削りてなせる青巌に
砕けて落つる飛潭の
湧きくる波の瀬を早み
花やかにさす春の日の
光炯照りそふ水けぶり
独り苔むす岩を攀じ
ふるふあゆみをふみしめて
浮べる雲をうかゞへば
下にとゞろく飛潭の
澄むいとまなき岩波は
落ちていづくに下るらん
山精
なにをいざよふ
むらさきの
ふかきはやしの
はるがすみ
なにかこひしき
いはかげを
ながれていづる
いづみがは
木精
かくれてうたふ
野の山の
こえなきこえを
きくやきみ
つゝむにあまる
はなかげの
水のしらべを
しるやきみ
山精
あゝながれつゝ
こがれつゝ
うつりゆきつゝ
うごきつゝ
あゝめぐりつゝ
かへりつゝ
うちわらひつゝ
むせびつゝ
木精
いまひのひかり
はるがすみ
いまはなぐもり
はるのあめ
あゝあゝはなの
つゆに酔ひ
ふかきはやしに
うたへかし
[st-w22] 二 六人の処女 – おきく
くろかみながく
やはらかき
をんなごころを
たれかしる
をとこのかたる
ことのはを
まこととおもふ
ことなかれ
をとめごころの
あさくのみ
いひもつたふる
をかしさや
みだれてながき
鬢の毛を
黄楊の小櫛に
かきあげよ
あゝ月ぐさの
きえぬべき
こひもするとは
たがことば
こひて死なんと
よみいでし
あつきなさけは
誰がうたぞ
みちのためには
ちをながし
くにには死ぬる
をとこあり
治兵衛はいづれ
恋か名か
忠兵衛も名の
ために果つ
あゝむかしより
こひ死にし
をとこのありと
しるや君
をんなごころは
いやさらに
ふかきなさけの
こもるかな
小春はこひに
ちをながし
梅川こひの
ために死ぬ
お七はこひの
ために焼け
高尾はこひの
ために果つ
かなしからずや
清姫は
蛇となれるも
こひゆえに
やさしからずや
佐容姫は
石となれるも
こひゆえに
をとこのこひの
たはぶれは
たびにすてゆく
なさけのみ
こひするなかれ
をとめごよ
かなしむなかれ
わがともよ
こひするときと
かなしみと
いづれかながき
いづれみじかき
[hs-a36] 閑雅な食慾 – 馬車の中で
馬車の中で
私はすやすやと眠つてしまつた。
きれいな婦人よ
私をゆり起してくださるな
明るい街灯の巷をはしり
すずしい緑蔭の田舎をすぎ
いつしか海の匂ひも行手にちかくそよいでいる。
ああ蹄の音もかつかつとして
私はうつつにうつつを追ふ
きれいな婦人よ
旅館の花ざかりなる軒にくるまで
私をゆり起してくださるな。
[hs-a16] 憂欝なる桜 – 憂欝の川辺
川辺で鳴つている
芦や葦のさやさやといふ音はさびしい
しぜんに生えてる
するどい ちひさな植物 草本の茎の類はさびしい
私は眼を閉じて
なにかの草の根を噛まうとする
なにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふために
げにそこにはなにごとの希望もない
生活はただ無意味な憂欝の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の点滴のやうなものだ
しかし ああ また雨! 雨! 雨!
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽虫の類
それは憂欝に這ひまはる 岸辺にそうて這ひまはる
じめじめとした川の岸辺を行くものは
ああこの光るいのちの葬列か
光る精神の病霊か
物みなしぜんに腐れゆく岸辺の草むら
雨に光る木材質のはげしき匂ひ。
[hs-a12] 幻の寝台 – 恐ろしく憂欝なる
こんもりとした森の木立のなかで
いちめんに白い蝶類が飛んでいる
むらがる むらがりて飛びめぐる
てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
みどりの葉のあつぼつたい隙間から
ぴか ぴか ぴか ぴかと光る そのちひさな鋭どい翼
いつぱいに群がつてとびめぐる てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ
ああ これはなんといふ憂欝な幻だ
このおもたい手足 おもたい心臓
かぎりなくなやましい物質と物質との重なり
ああ これはなんといふ美しい病気だらう
つかれはてたる神経のなまめかしいたそがれどきに
私はみる ここに女たちの投げ出したおもたい手足を
つかれはてた股や乳房のなまめかしい重たさを
その鮮血のやうなくちびるはここにかしこに
私の青ざめた屍体のくちびるに
額に 髪に 髪の毛に 股に 胯に 腋の下に 足くびに 足のうらに
みぎの腕にも ひだりの腕にも 腹のうへにも押しあひて息ぐるしく重なりあふ
むらがりむらがる 物質と物質との淫猥なるかたまり
ここにかしこに追ひみだれたる蝶のまつくろの集団
ああこの恐ろしい地上の陰影
このなまめかしいまぼろしの森の中に
しだいにひろがつてゆく憂欝の日かげをみつめる
その私の心はばたばたと羽ばたきして
小鳥の死ぬるときの醜いすがたのやうだ
ああこのたへがたく悩ましい性の感覚
あまりに恐ろしく憂欝なる。
[hs-a39] 閑雅な食慾 – 天候と思想
書生は陰気な寝台から
家畜のやうに這ひあがつた
書生は羽織をひつかけ
かれの見る自然へ出かけ突進した。
自然は明るく小綺麗でせいせいとして
そのうへにも匂ひがあつた
森にも 辻にも 売店にも
どこにも青空がひるがへりて美麗であつた
そんな軽快な天気に
美麗な自働車が 娘等がはしりつた。
わたくし思ふに
思想はなほ天候のやうなものであるか
書生は書物を日向にして
ながく幸福のにほひを嗅いだ。
[hs-t37] くさつた蛤 – 陽春
ああ、春は遠くからけぶつて来る、
ぽつくりふくらんだ柳の芽のしたに、
やさしいくちびるをさしよせ、
をとめのくちづけを吸ひこみたさに、
春は遠くからごむ輪のくるまにのつて来る。
ぼんやりした景色のなかで、
白いくるまやさんの足はいそげども、
ゆくゆく車輪がさかさにまわり、
しだいに梶棒が地面をはなれ出し、
おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、
これではとてもあぶなさうなと、
とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。
[st-w53] 四 深林の逍遥、其他 – 四つの袖
をとこの気息のやはらかき
お夏の髪にかゝるとき
をとこの早きためいきの
霰のごとくはしるとき
をとこの熱き手の掌の
お夏の手にも触るゝとき
をとこの涙ながれいで
お夏の袖にかゝるとき
をとこの黒き目のいろの
お夏の胸に映るとき
をとこの紅き口唇の
お夏の口にもゆるとき
人こそしらね嗚呼恋の
ふたりの身より流れいで
げにこがるれど慕へども
やむときもなき清十郎
[hs-a13] 憂欝なる桜 – 憂欝なる花見
憂欝なる桜が遠くからにほひはじめた
桜の枝はいちめんにひろがつている
日光はきらきらとしてはなはだまぶしい
私は密閉した家の内部に住み
日毎に野菜をたべ 魚やあひるの卵をたべる
その卵や肉はくさりはじめた
遠く桜のはなは酢え
桜のはなの酢えた匂ひはうつたうしい
いまひとびとは帽子をかぶつて外光の下を歩きにでる
さうして日光が遠くにかがやいている
けれども私はこの暗い室内にひとりで坐つて
思ひをはるかなる桜のはなの下によせ
野山にたはむれる青春の男女によせる
ああいかに幸福なる人生がそこにあるか
なんといふよろこびが輝やいていることか
いちめんに枝をひろげた桜の花の下で
わかい娘たちは踊ををどる
娘たちの白くみがいた踊の手足
しなやかにおよげる衣装
ああ そこにもここにも どんなにうつくしい曲線がもつれあつていることか
花見のうたごえは横笛のやうにのどかで
かぎりなき憂欝のひびきをもつてきこえる。
いま私の心は涙をもてぬぐはれ
閉じこめたる窓のほとりに力なくすすりなく
ああこのひとつのまづしき心はなにものの生命をもとめ
なにものの影をみつめて泣いているのか
ただいちめんに酢えくされたる美しい世界のはてで
遠く花見の憂欝なる横笛のひびきをきく。