[st-w35] 三 生のあけぼの – 哀歌

中野逍遥をいたむ
『秀才香骨幾人憐、秋入長安夢愴然、琴台旧譜盧前柳、風流銷尽二千年』、これ中野逍遥が秋怨十絶の一なり。逍遥字は威卿、小字重太郎、予州宇和島の人なりといふ。文科大学の異材なりしが年僅かに二十七にしてうせぬ。逍遥遺稿正外二篇、みな紅心の余唾にあらざるはなし。左に掲ぐるはかれの清怨を写せしもの、『寄語残月休長嘆、我輩亦是艶生涯』、合せかゝげてこの秀才を追慕するのこゝろをとゞむ。

思君九首     中野逍遥

思君我心傷    思君我容瘁
中夜坐松蔭    露華多似涙

思君我心悄    思君我腸裂
昨夜涕涙流    今朝尽成血

示君錦字詩    寄君鴻文冊
忽覚筆端香    窓外梅花白

為君調綺羅    為君築金屋
中有鴛鴦図    長春夢百禄

贈君名香篋    応記韓寿恩
休将秋扇掩    明月照眉痕

贈君双臂環    宝玉価千金
一鐫不乖約    一題勿変心

訪君過台下    清宵琴響揺
佇門不敢入    恐乱月前調

千里囀金鴬    春風吹緑野
忽発頭屋桃    似君三両朶

嬌影三分月    芳花一朶梅
渾把花月秀    作君玉膚堆

かなしいかなや流れ行く
水になき名をしるすとて
今はた残る歌反古の
ながき愁ひをいかにせむ

かなしいかなやする墨の
いろに染めてし花の木の
君がしらべの歌の音に
薄き命のひゞきあり

かなしいかなや前の世は
みそらにかゝる星の身の
人の命のあさぼらけ
光も見せでうせにしよ

かなしいかなや同じ世に
生れいでたる身を持ちて
友の契りも結ばずに
君は早くもゆけるかな

すゞしき眼つゆを帯び
葡萄のたまとまがふまで
その面影をつたへては
あまりに妬き姿かな

同じ時世に生れきて
同じいのちのあさぼらけ
君からくれないの花は散り
われ命あり八重葎

かなしいかなやうるはしく
さきそめにける花を見よ
いかなればかくとゞまらで
待たで散るらんさける間も

かなしいかなやうるはしき
なさけもこひの花を見よ
いと/\清きそのこひは
消ゆとこそ聞けいと早く

君し花とにあらねども
いな花よりもさらに花
君しこひとにあらねども
いなこひよりもさらにこひ

かなしいかなや人の世に
あまりに惜しき才なれば
病に塵に悲に
死にまでそしりねたまるゝ

かなしいかなやはたとせの
ことばの海のみなれ棹
磯にくだくる高潮の
うれひの花とちりにけり

かなしいかなや人の世の
きづなも捨てて嘶けば
つきせぬ草に秋は来て
声も悲しき天の馬

かなしいかなや音を遠み
流るゝ水の岸にさく
ひとつの花に照らされて
飄り行く一葉舟

[st-w23] 三 生のあけぼの – 草枕

夕波くらく啼く千鳥
われは千鳥にあらねども
心の羽をうちふりて
さみしきかたに飛べるかな

若き心の一筋に
なぐさめもなくなげきわび
胸の氷のむすぼれて
とけて涙となりにけり

芦葉を洗ふ白波の
流れて巌を出づるごと
思ひあまりて草枕
まくらのかずの今いくつ

かなしいかなや人の身の
なきなぐさめを尋ね侘び
道なき森に分け入りて
などなき道をもとむらん

われもそれかやうれひかや
野末に山に谷蔭に
見るよしもなき朝夕の
光もなくて秋暮れぬ

想も薄く身も暗く
残れる秋の花を見て
行くへもしらず流れ行く
水に涙の落つるかな

身を朝雲にたとふれば
ゆふべの雲の雨となり
身を夕雨にたとふれば
あしたの雨の風となる

されば落葉と身をなして
風に吹かれて飄り
朝の黄雲にともなはれ
夜白河を越えてけり

道なき今の身なればか
われは道なき野を慕ひ
思ひ乱れてみちのくの
宮城野にまで迷ひきぬ

心の宿の宮城野よ
乱れて熱き吾身には
日影も薄く草枯れて
荒れたる野こそうれしけれ

ひとりさみしき吾耳は
吹く北風を琴と聴き
悲み深き吾目には
色彩なき石も花と見き

あゝ孤独の悲痛を
味ひ知れる人ならで
誰にかたらん冬の日の
かくもわびしき野のけしき

都のかたをながむれば
空冬雲に覆はれて
身にふりかゝる玉霰
袖の氷と閉じあへり

みぞれまじりの風勁く
小川の水の薄氷
氷のしたに音するは
流れて海に行く水か

啼いて羽風もたのもしく
雲に隠るゝかさゝぎよ
光もうすき寒空の
汝も荒れたる野にむせぶ

涙も凍る冬の日の
光もなくて暮れ行けば
人めも草も枯れはてて
ひとりさまよふ吾身かな

かなしや酔ふて行く人の
踏めばくづるゝ霜柱
なにを酔ひ泣く忍び音に
声もあはれのその歌は

うれしや物の音を弾きて
野末をかよふ人の子よ
声調ひく手も凍りはて
なに門づけの身の果ぞ

やさしや年もうら若く
まだ初恋のまじりなく
手に手をとりて行く人よ
なにを隠るゝその姿

野のさみしさに堪へかねて
霜と霜との枯草の
道なき道をふみわけて
きたれば寒し冬の海

朝は海辺の石の上に
こしうちかけてふるさとの
都のかたを望めども
おとなふものは涛ばかり

暮はさみしき荒磯の
潮を染めし砂に伏し
日の入るかたをながむれど
湧きくるものは涙のみ

さみしいかなや荒波の
岩に砕けて散れるとき
かなしいかなや冬の日の
潮とともに帰るとき

誰か波路を望み見て
そのふるさとを慕はざる
誰か潮の行くを見て
この人の世を惜まざる

暦もあらぬ荒磯の
砂路にひとりさまよへば
みぞれまじりの雨雲の
落ちて潮となりにけり

遠く湧きくる海の音
慣れてさみしき吾耳に
怪しやもるゝものの音は
まだうらわかき野路の鳥

嗚呼めづらしのしらべぞと
声のゆくへをたづぬれば
緑の羽もまだ弱き
それも初音か鴬の

春きにけらし春よ春
まだ白雪の積れども
若菜の萌えて色青き
こゝちこそすれ砂の上に

春きにけらし春よ春
うれしや風に送られて
きたるらしとや思へばか
梅が香ぞする海の辺に

磯辺に高き大巌の
うへにのぼりてながむれば
春やきぬらん東雲の
潮の音遠き朝ぼらけ

[st-w17] 二 六人の処女 – おえふ

処女ぞ経ぬるおほかたの
われは夢路を越えてけり
わが世の坂にふりかへり
いく山河をながむれば

水静かなる江戸川の
ながれの岸にうまれいで
岸の桜の花影に
われは処女となりにけり

都鳥浮く大川に
流れてそゝぐ川添の
白菫さく若草に
夢多かりし吾身かな

雲むらさきの九重の
大宮内につかへして
清涼殿の春の夜の
月の光に照らされつ

雲を彫め涛を刻り
霞をうかべ日をまねく
玉の台の欄干に
かゝるゆふべの春の雨

さばかり高き人の世の
耀くさまを目にも見て
ときめきたまふさま/″\の
ひとりのころもの香をかげり

きらめき初むる暁星の
あしたの空に動くごと
あたりの光きゆるまで
さかえの人のさまも見き

天つみそらを渡る日の
影かたぶけるごとくにて
名の夕暮に消えて行く
秀でし人の末路も見き

春しづかなる御園生の
花に隠れて人を哭き
秋のひかりの窓に倚り
夕雲とほき友を恋ふ

ひとりの姉をうしなひて
大宮内の門を出で
けふ江戸川に来て見れば
秋はさみしきながめかな

桜の霜葉黄に落ちて
ゆきてかへらぬ江戸川や
流れゆく水静かにて
あゆみは遅きわがおもひ

おのれも知らず世を経れば
若き命に堪へかねて
岸のほとりの草を藉き
微笑みて泣く吾身かな