霜ふりてすこしつめたき朝を、
手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女あり、
そのとき並木にもたれ、
白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間をよくよく窺ひ、
このうまき雲雀料理をば盗み喰べんと欲して、
しきりにも焦心し、
あるひとのごときはあまりに焦心し、まつたく合掌せるにおよべり。
Category Archives: 萩原朔太郎
[hs-t52] 見知らぬ犬 – 孤独
田舎の白つぽい道ばたで、
つかれた馬のこころが、
ひからびた日向の草をみつめている、
ななめに、しのしのとほそくもえる、
ふるへるさびしい草をみつめる。
田舎のさびしい日向に立つて、
おまへはなにを視ているのか、
ふるへる、わたしの孤独のたましひよ。
このほこりつぽい風景の顔に、
うすく涙がながれている。
[hs-t31] くさつた蛤 – ばくてりやの世界
ばくてりやの足、
ばくてりやの口、
ばくてりやの耳、
ばくてりやの鼻、
ばくてりやがおよいでいる。
あるものは人物の胎内に、
あるものは貝るいの内臓に、
あるものは玉葱の球心に、
あるものは風景の中心に。
ばくてりやがおよいでいる。
ばくてりやの手は左右十文字に生え、
手のつまさきが根のやうにわかれ、
そこからするどい爪が生え、
毛細血管の類はべたいちめんにひろがつている。
ばくてりやがおよいでいる。
ばくてりやが生活するところには、
病人の皮膚をすかすやうに、
べにいろの光線がうすくさしこんで、
その部分だけほんのりとしてみえ、
じつに、じつに、かなしみたへがたく見える。
ばくてりやがおよいでいる。
[hs-t10] 竹とその哀傷 – 卵
いと高き梢にありて、
ちいさなる卵ら光り、
あふげば小鳥の巣は光り、
いまはや罪びとの祈るときなる。
[hs-t42] さびしい情慾 – 恋を恋する人
わたしはくちびるにべにをぬつて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
よしんば私が美男であらうとも、
わたしの胸にはごむまりのやうな乳房がない、
わたしの皮膚からはきめのこまかい粉おしろいのにほひがしない、
わたしはしなびきつた薄命男だ、
ああ、なんといふいじらしい男だ、
けふのかぐはしい初夏の野原で、
きらきらする木立の中で、
手には空色の手ぶくろをすつぽりとはめてみた、
腰にはこるせつとのやうなものをはめてみた、
襟には襟おしろいのやうなものをぬりつけた、
かうしてひつそりとしなをつくりながら、
わたしは娘たちのするやうに、
こころもちくびをかしげて、
あたらしい白樺の幹に接吻した、
くちびるにばらいろのべにをぬつて、
まつしろの高い樹木にすがりついた。
[hs-t21] 悲しい月夜 – かなしい遠景
かなしい薄暮になれば、
労働者にて東京市中が満員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街中いちめんにひろがり、
あつちの市区でも、こつちの市区でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臓がしやべるを光らしている。
[hs-t53] 見知らぬ犬 – 白い共同椅子
森の中の小径にそうて、
まつ白い共同椅子がならんでいる、
そこらはさむしい山の中で、
たいそう緑のかげがふかい、
あちらの森をすかしてみると、
そこにもさみしい木立がみえて、
上品な、まつしろな椅子の足がそろつている。
[hs-t32] くさつた蛤 – およぐひと
およぐひとのからだはななめにのびる、
二本の手はながくそろへてひきのばされる、
およぐひとの心臓はくらげのやうにすきとほる、
およぐひとの瞳はつりがねのひびきをききつつ、
およぐひとのたましひは水のうへの月をみる。
[hs-t11] 雲雀料理 –
五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のふおうくを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰べたい。
[hs-t43] さびしい情慾 – 五月の貴公子
若草の上をあるいているとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいているとき、
わたしは五月の貴公子である。