[st-w22] 二 六人の処女 – おきく

くろかみながく
やはらかき
をんなごころを
たれかしる

をとこのかたる
ことのはを
まこととおもふ
ことなかれ

をとめごころの
あさくのみ
いひもつたふる
をかしさや

みだれてながき
鬢の毛を
黄楊の小櫛に
かきあげよ

あゝ月ぐさの
きえぬべき
こひもするとは
たがことば

こひて死なんと
よみいでし
あつきなさけは
誰がうたぞ

みちのためには
ちをながし
くにには死ぬる
をとこあり

治兵衛はいづれ
恋か名か
忠兵衛も名の
ために果つ

あゝむかしより
こひ死にし
をとこのありと
しるや君

をんなごころは
いやさらに
ふかきなさけの
こもるかな

小春はこひに
ちをながし
梅川こひの
ために死ぬ

お七はこひの
ために焼け
高尾はこひの
ために果つ

かなしからずや
清姫は
蛇となれるも
こひゆえに

やさしからずや
佐容姫は
石となれるも
こひゆえに

をとこのこひの
たはぶれは
たびにすてゆく
なさけのみ

こひするなかれ
をとめごよ
かなしむなかれ
わがともよ

こひするときと
かなしみと
いづれかながき
いづれみじかき

[hs-a25] さびしい青猫 – 緑色の笛

この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いている。
黄色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お嬢さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口をお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃気楼をよびよせなさい
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像がしだいにちかづいてくるやうだ。
それはくびのない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする
いつそこんな悲しい暮景の中で 私は死んでしまひたいのです。お嬢さん!

[st-w44] 四 深林の逍遥、其他 – 合唱 四 高楼

わかれゆくひとををしむとこよひより
とほきゆめちにわれやまとはん

とほきわかれに
たへかねて
このたかどのに
のぼるかな

かなしむなかれ
わがあねよ
たびのころもを
とゝのへよ

わかれといへば
むかしより
このひとのよの
つねなるを

ながるゝみづを
ながむれば
ゆめはづかしき
なみだかな

したへるひとの
もとにゆく
きみのうへこそ
たのしけれ

ふゆやまこえて
きみゆかば
なにをひかりの
わがみぞや

あゝはなとりの
いろにつけ
ねにつけわれを
おもへかし

けふわかれては
いつかまた
あひみるまでの
いのちかも

きみがさやけき
めのいろも
きみくれないの
くちびるも

きみがみどりの
くろかみも
またいつかみん
このわかれ

なれがやさしき
なぐさめも
なれがたのしき
うたごえも

なれがこゝろの
ことのねも
またいつきかん
このわかれ

きみのゆくべき
やまかはは
おつるなみだに
みえわかず

そでのしぐれの
ふゆのひに
きみにおくらん
はなもがな

そでにおほへる
うるはしき
ながかほばせを
あげよかし

ながくれないの
かほばせに
ながるゝなみだ
われはぬぐはん

[hs-t38] くさつた蛤 – くさつた蛤

半身は砂のなかにうもれていて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟体動物のあたまの上には、
砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れている、
ながれている、
ああ夢のやうにしづかにもながれている。

ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴れているのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆえ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐つていて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。

[hs-a42] 閑雅な食慾 – 思想は一つの意匠であるか

欝蒼としげつた森林の樹木のかげで
ひとつの思想を歩ませながら
仏は蒼明の自然を感じた
どんな瞑想をもいきいきとさせ
どんな涅槃にも溶け入るやうな
そんな美しい月夜をみた。

「思想は一つの意匠であるか」
仏は月影を踏み行きながら
かれのやさしい心にたづねた。

[hs-a05] 幻の寝台 – 群集の中を求めて歩く

私はいつも都会をもとめる
都会のにぎやかな群集の中に居ることをもとめる
群集はおほきな感情をもつた浪のやうなものだ
どこへでも流れてゆくひとつのさかんな意志と愛欲とのぐるうぷだ
ああ ものがなしき春のたそがれどき
都会の入り混みたる建築と建築との日影をもとめ
おほきな群集の中にもまれてゆくのはどんなに楽しいことか
みよこの群集のながれてゆくありさまを
ひとつの浪はひとつの浪の上にかさなり
浪はかずかぎりなき日影をつくり 日影はゆるぎつつひろがりすすむ
人のひとりひとりにもつ憂ひと悲しみと みなそこの日影に消えてあとかたもない
ああ なんといふやすらかな心で 私はこの道をも歩いて行くことか
ああ このおほいなる愛と無心のたのしき日影
たのしき浪のあなたにつれられて行く心もちは涙ぐましくなるやうだ。
うらがなしい春の日のたそがれどき
このひとびとの群は 建築と建築との軒をおよいで
どこへどうしてながれ行かうとするのか
私のかなしい憂欝をつつんでいる ひとつのおほきな地上の日影
ただよふ無心の浪のながれ
ああ どこまでも どこまでも この群集の浪の中をもまれて行きたい
浪の行方は地平にけむる
ひとつの ただひとつの「方角」ばかりさしてながれ行かうよ。

[hs-a14] 憂欝なる桜 – 夢にみる空家の庭の秘密

その空家の庭に生えこむものは松の木の類
びはの木 桃の木 まきの木 さざんか さくらの類
さかんな樹木 あたりにひろがる樹木の枝
またそのむらがる枝の葉かげに ぞくぞくと繁茂するところの植物
およそ しだ わらび ぜんまい もうせんごけの類
地べたいちめんに重なりあつて這ひまはる
それら青いものの生命
それら青いもののさかんな生活
その空家の庭はいつも植物の日影になつて薄暗い
ただかすかにながれるものは一筋の小川のみづ
夜も昼もさよさよと悲しくひくくながれる水の音
またじめじめとした垣根のあたり
なめくじ へび かへる とかげ類のぬたぬたとした気味わるいすがたをみる。
さうしてこの幽邃な世界のうへに
夜は青じろい月の光がてらしている
月の光は前栽の植込からしつとりとながれこむ。
あはれにしめやかな この深夜のふけてゆく思ひに心をかたむけ
わたしの心は垣根にもたれて横笛を吹きすさぶ
ああ このいろいろのもののかくされた秘密の生活
かぎりなく美しい影と 不思議なすがたの重なりあふところの世界
月光の中にうかびいづる羊歯 わらび 松の木の枝
なめくじ へび とかげ類の無気味な生活
ああ わたしの夢によくみる このひと住まぬ空家の庭の秘密と
いつもその謎のとけやらぬおもむき深き幽邃のなつかしさよ。

[hs-a16] 憂欝なる桜 – 憂欝の川辺

川辺で鳴つている
芦や葦のさやさやといふ音はさびしい
しぜんに生えてる
するどい ちひさな植物 草本の茎の類はさびしい
私は眼を閉じて
なにかの草の根を噛まうとする
なにかの草の汁をすふために 憂愁の苦い汁をすふために
げにそこにはなにごとの希望もない
生活はただ無意味な憂欝の連なりだ
梅雨だ
じめじめとした雨の点滴のやうなものだ
しかし ああ また雨! 雨! 雨!
そこには生える不思議の草本
あまたの悲しい羽虫の類
それは憂欝に這ひまはる 岸辺にそうて這ひまはる
じめじめとした川の岸辺を行くものは
ああこの光るいのちの葬列か
光る精神の病霊か
物みなしぜんに腐れゆく岸辺の草むら
雨に光る木材質のはげしき匂ひ。