重たいおほきな羽をばたばたして
ああ なんといふ弱弱しい心臓の所有者だ。
花瓦斯のやうな明るい月夜に
白くながれてゆく生物の群をみよ
そのしづかな方角をみよ
この生物のもつひとつのせつなる情緒をみよ
あかるい花瓦斯のやうな月夜に
ああ なんといふ悲しげな いじらしい蝶類の騒擾だ。
Category Archives: 詩
[hs-a20] さびしい青猫 – 恐ろしい山
恐ろしい山の相貌をみた
まつ暗な夜空にけむりを吹きあげている
おほきな蜘蛛のやうな眼である。
赤くちろちろと舌をだして
うみざりがにのやうに平つくばつてる。
手足をひろくのばして麓いちめんに這ひつた
さびしくおそろしい闇夜である
がうがうといふ風が草を吹いてる 遠くの空で吹いてる。
自然はひつそりと息をひそめ
しだいにふしぎな 大きな山のかたちが襲つてくる。
すぐ近いところにそびえ
怪異な相貌が食はうとする。
[hs-t07] 竹とその哀傷 – 笛
あふげば高き松が枝に琴かけ鳴らす、
をゆびに紅をさしぐみて、
ふくめる琴をかきならす、
ああ かき鳴らすひとづま琴の音にもつれぶき、
いみじき笛は天にあり。
けふの霜夜の空に冴え冴え、
松の梢を光らして、
かなしむものの一念に、
懺悔の姿をあらはしぬ。
いみじき笛は天にあり。
[hs-t29] くさつた蛤 – 椅子
椅子の下にねむれるひとは、
おほいなる家をつくれるひとの子供らか。
[st-w06] 一 秋の思 – 君がこゝろは
君がこゝろは蟋蟀の
風にさそはれ鳴くごとく
朝影清き花草に
惜しき涙をそゝぐらむ
それかきならす玉琴の
一つの糸のさはりさへ
君がこゝろにかぎりなき
しらべとこそはきこゆめれ
あゝなどかくは触れやすき
君が優しき心もて
かくばかりなる吾こひに
触れたまはぬぞ恨みなる
[hs-t44] さびしい情慾 – 白い月
はげしいむし歯のいたみから、
ふくれあがつた頬つぺたをかかへながら、
わたしは棗の木の下を掘つていた、
なにかの草の種を蒔かうとして、
きやしやの指を泥だらけにしながら、
つめたい地べたを堀つくりかへした、
ああ、わたしはそれをおぼえている、
うすらさむい日のくれがたに、
まあたらしい穴の下で、
ちろ、ちろ、とみみずがうごいていた、
そのとき低い建物のうしろから、
まつしろい女の耳を、
つるつるとなでるやうに月があがつた、
月があがつた。
幼童思慕詩篇
[st-w26] 三 生のあけぼの – 三 春は来ぬ
春はきぬ
春はきぬ
初音やさしきうぐひすよ
こぞに別離を告げよかし
谷間に残る白雪よ
葬りかくせ去歳の冬
春はきぬ
春はきぬ
さみしくさむくことばなく
まづしくくらくひかりなく
みにくゝおもくちからなく
かなしき冬よ行きねかし
春はきぬ
春はきぬ
浅みどりなる新草よ
とほき野面を画けかし
さきては紅き春花よ
樹々の梢を染めよかし
春はきぬ
春はきぬ
霞よ雲よ動ぎいで
氷れる空をあたゝめよ
花の香おくる春風よ
眠れる山を吹きさませ
春はきぬ
春はきぬ
春をよせくる朝汐よ
芦の枯葉を洗ひ去れ
霞に酔へる雛鶴よ
若きあしたの空に飛べ
春はきぬ
春はきぬ
うれひの芹の根を絶えて
氷れるなみだ今いづこ
つもれる雪の消えうせて
けふの若菜と萌えよかし
[hs-t03] 竹とその哀傷 – 竹
ますぐなるもの地面に生え、
するどき青きもの地面に生え、
凍れる冬をつらぬきて、
そのみどり葉光る朝の空路に、
なみだたれ、
なみだをたれ、
いまはや懺悔をはれる肩の上より、
けぶれる竹の根はひろごり、
するどき青きもの地面に生え。
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
[st-w08] 一 秋の思 – 秋に隠れて
わが手に植えし白菊の
おのづからなる時くれば
一もと花の暮陰に
秋に隠れて窓にさくなり
[hs-a01] 幻の寝台 – 薄暮の部屋
つかれた心臓は夜をよく眠る
私はよく眠る
ふらんねるをきたさびしい心臓の所有者だ
なにものか そこをしづかに動いている夢の中なるちのみ児
寒さにかじかまる蝿のなきごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
私はかなしむ この白つぽけた室内の光線を
私はさびしむ この力のない生命の韻動を。
恋びとよ
お前はそこに坐つている 私の寝台のまくらべに
恋びとよ お前はそこに坐つている。
お前のほつそりした頚すじ
お前のながくのばした髪の毛
ねえ やさしい恋びとよ
私のみじめな運命をさすつておくれ
私はかなしむ
私は眺める
そこに苦しげなるひとつの感情
病みてひろがる風景の憂欝を
ああ さめざめたる部屋の隅から つかれて床をさまよふ蝿の幽霊
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
恋びとよ
私の部屋のまくらべに坐るをとめよ
お前はそこになにを見るのか
わたしについてなにを見るのか
この私のやつれたからだ 思想の過去に残した影を見ているのか
恋びとよ
すえた菊のにほひを嗅ぐやうに
私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を
よし二人からだをひとつにし
このあたたかみあるものの上にしも お前の白い手をあてて 手をあてて。
恋びとよ
この閑寂な室内の光線はうす紅く
そこにもまた力のない蝿のうたごえ
ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ。
恋びとよ
わたしのいじらしい心臓は お前の手や胸にかじかまる子供のやうだ
恋びとよ
恋びとよ。